(8) 2015年1月17日 舒明天皇は実在していない…明日香村で遺跡発掘
奈良県明日香村で、7世紀頃に造られたとみられる石敷の遺構が見つかりました。長さが48メートルにもおよび、それが、方墳の一部で、舒明天皇の墓ではないかとの見方もあるようです。
わが国の成り立ちの歴史は、1300年にわたって庶民には秘匿されています。ですから、奈良県明日香村で遺跡が発掘され、舒明天皇の墓ではないかなどと言われると、多くの人々が興味津々になってしまいます。あるいは、そこに歴史のロマンを抱く方もあるのかもしれません。
しかし、我が国の歴史を検証しますと、そんなことは全く有り得ないことだと分かります。
西暦645年、当時の出雲王朝は、大陸の王朝から「倭国」などという蔑称で呼ばせないと、『大』国を、日本(ひのもと)という国名に『化』えました。これこそが、国名「日本」のルーツであり、『大化の改新』の本当の意味です。
その新生「日本」は、唐王朝第3代皇帝李治の皇后武則天の指令で、663年11月18日(旧暦10月10日)占領征服され、唐王朝の植民地支配下に置かれてしまいました。彼らの支配が確立したのが、大宝律令です。それ以来、彼らは、唐(藤)を源(原)にするという意味で藤原氏を構成し、この国の人々を支配下にして今に至ります。
この国の人々は、武則天の勢力である武氏つまり、武士によって奴隷の如くに支配され、土地も奪われ歴史すら奪われ、その唐王朝の勢力にとって都合の良い架空の歴史でもって騙され、洗脳され続けることになりました。
天皇とは、その命名者「武則天」によってこの日本が制圧されたことの象徴でもあります。その武則「天」の本名は、武「照」です。ですから、天皇の祖先は「天照」で、今も伊勢神宮の祭神として祀られています。
そして、神武から元正までの天皇の諡号は、8世紀後半、淡海三船によって一括撰進されており、それらの天皇は、創作されたものであって実在などしていません。
ところが、我が国を植民地支配下にした唐王朝も、907年、朱全忠らによって滅ぼされ大陸から追放され、この列島に逃げ延びてきます。それ以来、我が国の支配勢力は、大陸で再び支配者となって返り咲くことこそが、その存在意義となります。
我が国の中枢を支配する勢力の本性は、唐王朝の残党勢力でした。ですから、数々の口実を並べて、この国の人々を騙し、再び大陸を支配するために利用しようとします。そういった大陸侵略への大号令が、古事記において、「天照」の指令として残されています。また、同じく「いなばの白兎」の逸話として、この列島の人々を騙して利用せよとも残されています。
明治維新以降の大陸侵略の本当の目的は、そういった我が国の支配勢力の本性に基づく「唐王朝の再興」に本質がありました。その本性は、今も何ら変わっていません。
ですから、60年代後半から、歴代総理大臣は、憲法の政教分離など無視して、年頭に伊勢神宮に参拝し、彼らの始祖神「天照」にその忠誠を誓っているのです。
安倍首相が、並々ならぬ執念でもって、辺野古に基地を建設しようするのは、我が国の支配勢力が庶民には秘匿している本性にその動機が潜んでいました。
我が国の教育・マスコミ等では、こういった唐王朝の勢力によって創作された架空の歴史認識が我が国の歴史だと思わせるように、今をもって情報操作されています。
近畿で何らかの遺跡が発掘されると、それがまるで邪馬台国や卑弥呼の遺跡であるかのように、また今回の遺跡も、まだ墓かどうかも分かってもいない時点で、存在もしない舒明天皇の墓かのように報道し、架空の歴史にまるで「根拠」があるかのように見せかけようとしています。
すべては、支配下にある庶民に対する洗脳行為でしかありません。
研究員の皆さんは、舒明天皇が実在していないということを知っているはずです。知らないということでは専門家としてどうなのかということにもなりますし、知っていたとしたら分かった上で偽りの歴史をふりまいていることになってしまいます。
どちらにしても、よく歴史を検証した上で、研究に励んでいただきたいものです。
わが国の本当の歴史を知ろうと思えば、今の教育・マスコミに頼ることなく、自らの努力・検証と真実を見抜く力が必須だということです。
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