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由美と行く 
万葉紀行

35、

 「さあ、用意はできたかな」
 「大丈夫よ。電気やガスもちゃんと切ったわ」
 「じゃあ、出発だ」
 今まで、何度か出雲方面へ日帰りで出かけていたが、今回は初めての一泊旅行だ。
 その上、由美の友達の玲子も途中で合流するので、賑やかな出雲旅行となりそうだ。
 そして、出雲にはちょうど昼時に着いたので、やはり蕎麦屋に入った。
 「ねえ、玲子さんはいつ着くの?」
 洵子が由美に聞いていた。
 「二時前に出雲駅へ着くそうよ」
 昼食を済ませて、出雲駅に行くとまだ少し時間に余裕があった。
 「和歌山市からだと結構時間がかかるんだろうなあ」
 「八時頃の特急で新大阪に出て、そこから新幹線で岡山に来て、またそこから出雲まで特急に乗るそうよ」
 「それは大変だ。六時間もかかるのか」
 そんな話をしているうちに特急が着いて、玲子がやってきた。
 「玲子いらっしゃい。疲れたでしょう」
 「ううん、大丈夫よ。出雲が見れると思うと、もうわくわくしてたわ」
 「こちらが、お父さんとお母さん、それと妹の明代」
 「みなさん、どうも始めまして、楽しい家族旅行を邪魔するようですみません」
 「大丈夫。気にすることないですよ。一杯出雲を満喫してください」
 恒之は、歓迎の意味も込めてあいさつをした。
 玲子は、少し小柄でメガネをかけており、気さくな感じがした。

 そして、それぞれが、軽く初対面の挨拶を交わした。
 その日は、出雲大社と日御碕神社に参拝してから灯台へ向かった。
 当初は民宿を考えていたが、由美の友人も一緒だということで、灯台の近くにある国民宿舎に泊まることにした。
 灯台にも昇り、その周辺の遊歩道を歩いていると、ちょうど、夕日が、海のかなたに沈もうとしているところだった。
 「私、日本海の夕日を見るのって初めてなの」
 「良かったね。こんな綺麗な夕日が見れて」
 由美と玲子が、岩場にある展望台で、風に髪をなびかせながら眺めていた。
 その横で、恒之は、夕日の映像をカメラに収めた。
 そして、宿泊した次の日、午前中は近くの海水浴場で遊び、午後は、荒神谷遺跡、八重垣神社、熊野大社、そして妻木晩田遺跡などを見ながら帰った。

 途中で夕食を済ませ、家に帰る頃には暗くなっていた。
 玲子は、西山家で一泊し、翌日帰ることになった。
 恒之は、今回撮影した映像をいくつかプリントアウトして、玲子が気に入った物を渡すことにした。
 恒之が居間に行くと、皆がそろってくつろいでいた。
 「写真ができたよ」
 「わあ、もうできたの」
 「とりあえず、良さそうな映像だけプリントアウトしてみたよ」
 「これいいわね」
 「どこどこ、見せて」
 しばらくは、その写真を見ながら賑わっていた。
 「初めて見た出雲の印象はどうでしたか?」
 恒之は、玲子に感想を聞いてみた。
 「実際自分の目で見ると、今まで想像していたのと違って、すごくリアルに把握できるというか、実感としてとらえることができて良かったです」
 「やはり、その場に行くことが大事だよなあ」
 「でも、一つだけ疑問に思ったことがありました」
 「そう。どんな?」
 恒之は、玲子がどんなことに疑問を抱いたのか興味を引かれた。
 「日御碕神社には、神の宮に須佐之男尊が、日沈宮には天照大御神が奉られていました」
 「そうだよね」
 「ところが、日沈宮があの場所に奉られたのは、村上天皇の頃だとありました」
 「そう書いてあったね」
 「その頃は、平安朝の時代ですから天照大御神といえばこの国における最高の神であり、須佐之男尊の姉とされています」
 「そうだよ」
 「ところが、あの場所でその二つの宮を見ると、須佐之男尊が、その姉であるところの天照大御神をまるで見下ろすように建てられています」
 「やはり、そこに疑問を感じたんだ」
 「弟が姉を見下ろすというのも変ですし、記紀で記されているところの関係からしてもかなり違和感を感じました」
 「そうだよなあ。でも、出雲の地では須佐之男尊の方が最強の神ということなのかな」
 恒之は、玲子がかなり核心をついたところを見ているのに驚いた。
 「ねえねえ、何を話しているの」
 由美が、写真を見終えて横にきた。
 「玲子さんに、出雲の感想を聞いているんだよ」
 「そう、どうだった」
 「日御碕神社にある、神の宮と日沈宮の位置関係が変じゃないかって話しているところだよ」
 「そうねえ。でも、出雲では当然なのかもしれないけどね」
 「私は、あの奉られ方は姉と弟ではないように思えたのですが、八重垣神社でもそれを感じました」
 玲子が、また語り始めた。
 「八重垣神社で?」
 「そうです。壁画が展示してありましたよねえ」
 「そうだよなあ。かなり、古い壁画で国の重要文化財にもなっているようだ」
 九世紀の終わり頃の作と言われており、須佐之男尊と稲田姫、その両親の脚摩乳と手摩乳、そして天照大御神と市杵嶋姫命が描かれているとされている。
 わが国の神社建築史上類例のない貴重な壁画である。
 「そこに描かれていると言われている天照大御神の絵を見ても、同じように感じました。つまり、記紀で姉とされている天照大御神の描かれ方だとはとても思えません」
 「なるほどねえ。天照大御神と市杵嶋姫命が寄り添うように描かれていたよ。市杵嶋姫命は、須佐之男尊と卑弥呼との間に産まれたと言われているから、あれは、天照大御神となっているが、卑弥呼とその娘の絵だろう。おそらく、卑弥呼を描いたこの世でただ一枚しかない絵だよ」
 「天照大御神と市杵嶋姫命が仲の良い親子のように描かれていましたよねえ。そうなると、須佐之男尊と稲田姫と同じようにしか思えないのです。つまり、天照大御神の絵からは、姉ではなく須佐之男尊の妻という雰囲気を感じるのです」
 「そして、そこに描かれている稲田姫は、須佐之男尊に対してそっぽを向いているんだよ。須佐之男尊と卑弥呼に対してちょっとジェラシーを抱いているという設定で描かれているのかもしれない。だから、須佐之男尊は、どうして拗ねているんだって顔つきだったよ」
 「私も、あの絵は、須佐之男尊のファミリーが描かれていると思ったわ。ただ、あくまで征服した証なんだろうけどね。出雲で稲田姫命を、そして九州で天照大御神、つまり卑弥呼をね」
 由美も八重垣神社の壁画についての感想を述べていた。
 「由美もそう思ったのね。そのように考えると、日御碕神社も仲良く夫婦が奉られていると思えるのです」
 「そうだよなあ。そんなような奉られ方にも思えるよ。ええっ、ということは、日沈宮に奉られているのは卑弥呼ということか」
 「私は、天照大御神は藤原氏によって須佐之男尊の姉にされたと考えています。では、何故彼らが須佐之男尊の姉にしようとしたかです。つまり、それ以前は、須佐之男尊によって卑弥呼が征服されていたからに他なりません。卑弥呼は、出雲の勢力に征服された倭奴国の象徴です」
 「なるほどねえ」
 「その出雲を征服した藤原氏、つまりは唐ですが、彼らは、この列島が北方騎馬民族である出雲の勢力に支配されていたことが許せなかったのです。そして、出雲は征服され、それまで征服された立場にあった卑弥呼を、天照大御神、つまり須佐之男尊の姉として君臨させたのではないでしょうか」
 「そうだよ。やはり、天照大御神は、藤原氏によって女性の神にされたんだ」
 「中国はこの列島を卑下するように、倭と呼び、そしてその女王を卑弥呼と呼びました。ところが、唐の勢力がこの国に来て藤原氏となると、自分達が卑下される立場に陥ってしまうことになります。そこで、彼らは、須佐之男尊に征服された卑弥呼を、逆に最高の神として描いたということではないでしょうか。そして、唐としての藤原氏は、古事記に天照大御神の意志だとして、大陸を支配せよとメッセージを残しました。言ってみれば、この列島は、唐の勢力の『天下り先』だったのかもしれません」
 「そうか、なるほど。由美、解ったよ」
 「お父さん、何が解ったの」
 「ほら、由美が言っていた大和の謎だよ。大和という表記が、万葉集の原文には全く出て来ないのに、解釈では、倭や日本までが『やまと』と読まれていただろう」
 「そうだったわね」
 「つまり、『やまと』とは、邪馬臺(台)のことだったんだよ」
 「どういうこと?」
 「邪馬臺(台)とは、この列島の皇帝のいるところを意味していただろう」
 「そうね」
 「そして、それは、北方騎馬民族であるところの出雲がこの列島を支配し、その大王がそこにいたからこそ、邪馬臺(台)と記されたんだよ」
 「だろうね」
 「それは、大陸からの視点だからそうなるのであって、唐の勢力が出雲を征服し、藤原氏として自らがこの列島の支配者となれば、その視点は自ずと変わってくるよ」

 「なるほどね」
 「出雲から大王を消し、皇帝が奈良に居るということになると、邪馬臺(台)も当然奈良に移るということだよ」
 「そうよね」
 「ところが、今まで自分達が使っていたからといって、今更邪馬臺(台)などと書けないだろう」

 「騎馬民族でもないしね」
 「そう。だから、皇帝の住まいする臺(台)としての『邪馬臺(やまと)』を、大和で表記したということだろう。魏志倭人伝や後漢書に大倭とあっただろう。おそらくは、自分達こそがその大倭だということかな。ただ、今まで卑下して倭を使っていたから、和に変えたんだろう。そして、大和こそが神武以来、この列島の臺(台)だという歴史を作り上げたんだよ。そして、九州も、出雲も、倭国も、日本もあらゆるものが大和の支配下におかれたということだ。そして読み方すら『やまと』に変えられて、今もその認識のままという訳だ。そうか、そういうことだったのか。その歴史を変えた結果が日本書紀ということなんだ」
 「え、何が?」
 「中国では、王朝が変わった時には、次の王朝が前王朝の歴史を書き記しただろう。つまり、出雲の勢力を征服した藤原氏にとって、日本国は前王朝になるんだよ」
 「なるほど、それで中国のように史書を書き記したということなのね」
 「だから、最後は持統天皇で終わっているよ。持統天皇は、七世紀の終わり頃だろう。そして、七〇一年大宝元年に大宝律令が施行され、親唐政権が誕生している。そして、日本書紀の完成が七百二十年となっているから辻褄は合うよ」
 「その日本書紀では、唐の勢力の臺(台)である大和中心の歴史が作られたということよね。旧唐書では、倭国が古の倭奴国で、日本国は倭奴国の別種であるとなっていたのに、新唐書になると、日本は古の倭奴なりと変わったことで日本の認識が混乱してしまったのよね。つまり、唐の勢力である藤原氏が、この列島を征服して歴史を変えてしまったからなのね」
 「太古から中国の支配下にあった倭奴に日本も取り込まれたということだよ。つまりは、唐と藤原氏に仕組まれた歴史の『罠(わな)』だということかな」
 恒之は、また一つ謎が解けたように思えた。
 「ねえ、玲子さん。写真どれがいいですか」
 話がちょっと落ち着いたので、明代が、玲子に写真を勧めている。
 「じゃあ、ちょっと見せてね」
 玲子は、その中から数枚選んでいた。
 「それだけでいいですか」
 「ありがとう。これで十分よ」
 「では、あとの写真はどうしよう。そうだ、記念になるから貼っておこうかな」
 明代は、大きな白い紙に十数枚ある写真を並べていた。
 「明代、それをどうやって貼るの?」
 「どうしよう、のり付けもなんだかねえ。そうだ、シールがあるわ」
 明代は、棚を探していた。
 「これよ、以前使った残りだけど。良くくっつくのよね」
 明代は、そのシートから丸型のシールを剥がして、写真の四隅に貼って固定していた。
 そして、丸型を取ったあとに残る四本足のヒトデのような部分も剥がして貼っていた。
 「なるほどなあ。考えたものだ、そうすれば無駄が全く無く、すべての面がシールとして使えるんだ」
 「そうよ。面白いでしょう」
 「シールを作る会社も考えたものだ」
 恒之は、関心して見ていた。
 「お父さん、なんか円墳と四隅突出型古墳みたいね」
 明代が貼っていくそのシールを見ながら、由美が笑っていた。
 「そう言われてみればそうだよな」
 恒之は、由美の発想につられて笑った。
 「もう、時々くっついてしまうのよ」
 明代が、シールが二枚くっついてしまうのでぼやいている。
 「もう面倒だから、二枚貼っちゃおう」
 「明代、だめじゃない二枚もつなげちゃ」
 由美が、明代をたしなめている。
 「だって離れにくいんだもの。いいじゃない、二枚合わせて前方後円墳よ」
 「何言ってるのよ。横着しちゃだめよ」
 その時、恒之はハッとした。
 『ふたつ併せると前方後円墳?』
 「明代、ちょっとそれを見せて!」
 「何を?」
 恒之は、明代が二枚くっつけて貼っているシールを手元に寄せた。
 「こ、これは…」
 「お父さん、そんな人の失敗をまじまじと見ないでよ」
 恒之は、果たしてその発想がどうなのか考えていた。
 「お父さん、どうしたの?」
 由美も不思議そうにしている。
 「由美は、どう思う?」
 「何が?」
 「円墳と四隅突出型古墳の合体が前方後円墳じゃないだろうか。出雲と九州、つまり天神(あまつかみ)と地神(くにつかみ)が融合し、墳墓の形も合体させた」
 「そんな。合体って」
 由美には、父の発想が、ちょっと突飛すぎるように思えた。

 「なるほど、私は、有り得ると思います。つまり、円墳は九州の象徴、そして四隅突出型古墳は出雲の象徴。出雲が九州を征服し、両者が合体し、故人を奉る墓も合体させた。巨大な前方後円墳のくびれのあたりの前方部に突起が見られることがあります。あるいは、それは四隅突出型の名残かもしれません」
 「ええっ、前方後円墳のルーツは、円墳と四隅突出型古墳にあったということなの」
 由美は、あまりの説に驚くばかりであった。
 「つまり、宋書にあった倭の五王の巨大な勢力は、出雲と九州の合体にあったということだよ」
 「九州は、青銅器文明です。出雲は、もちろん鉄です。この二つの勢力が合体するんですから、凄いパワーだったんでしょうね」
 「そうねえ、玲子の言う通りかもしれないわね。そして、九州から東国にまで彼らの勢力は及び、前方後円墳に葬られたということね」
 「それだけではないよ。朝鮮半島にも前方後円墳はあるんだよ。これも、彼らが宋書に安東大将軍と言われていたとあったように、出雲の勢力は朝鮮半島にまで及んでいたという証拠だよ」
 「凄いね。とうとう前方後円墳の謎が解明できたね」
 「これも、玲子さんのお陰だよ」
 「いえ、私は何も」
 その頃、明代が写真を貼り終えて、志賀島で撮影した夕日の写真の横に並べていた。
 「明代ちゃんがそのシールを貼っていたので、前方後円墳の謎が解けたわ。ありがとう」
 「このシールで、前方後円墳の謎が?」
 玲子の言葉の意味がよく解らない明代は、手元のシールを見ながら首を傾げていた。
 「とってもいい思い出ができました。本当にありがとうございました」
 「とんでもない。こちらこそいい勉強をさせていただきました」
 次の日、玲子は、倉吉駅始発の特急で帰っていった。



                      

   


      邪馬台国発見  

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