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「ほらお父さん見て、歴史的な拠点が中央構造線に沿ってあるのね。九州から四国、紀伊、伊勢、信濃、鹿島など水銀や瑪瑙、翡翠、琥珀など数多くの鉱物資源がそのラインで採掘されていたわけよね。中央構造線という認識は無かったんだろうけど、結果的にその鉱脈を探し当てていったんだろうね」
「中央構造線だったのか。なるほど、その周辺は地下で巨大なエネルギーが蓄積するから、それによって誕生したいろいろな資源が採掘できたということか」
「だから、出雲の勢力は鉄と鉱物資源を掌握し、それを次は藤原、つまりは唐が征服したということかしら。伊勢の水銀や東北の金など、重要な資源を手中にしたんでしょうね」
「そうか、鹿島のあたりはそのラインの東の端になるよ。本当に、みごとに中央構造線のライン上に並んでいるなあ。宋書にある倭国のエリアとちょうど一致するよ」
由美が、夏休みに入って帰省していた。
古代史ゼミで研究が深められた由美の話を、恒之は興味深く聞いた。
そして、由美の指し示す資料に、一つ々々納得する恒之だった。
「宋書について聞いていたでしょう、それとまったく重なるので驚いたわ。まだ、もう一つ驚いたことがあるの」
由美は、そう言って別の資料を出した。
「古代の資料を見ていたら、前方後円墳の分布図があったの。すると、これも宋書で言う所のエリアと一致するのよ」
「前方後円墳の分布が?」
恒之は、由美の指し示す資料を見た。
「ええっ、本当だ。どういうことだ」
由美の言うように九州から関東地方にかけて各地に前方後円墳が分布していたが、その密集している地域は、主に北九州、日向、吉備、讃岐、近畿、中部、そして関東地域だった。
「関東地域にも結構多いんだなあ」
「そうなの。埼玉県から群馬県にかけて、かなり密集しているでしょう。どうして、この地域にこんなにもたくさんの前方後円墳があるのかしら」
「どうしてなんだろう。関東の方はよく分からないから地図を見ようか。確か地図帳があったよなあ」
恒之は、高校の時の地図帳を今もまだ使っている。
「埼玉、群馬、栃木、ほら、このあたりだよ」
そのページには、関東地域が大きく描かれていた。
恒之は、そのエリアを調べていたが、あることに気が付いた。
「ええっ、そういうことだったのか」
その県境を見ていて、恒之は思わず声を出した。
「どうしたの?」
「ほら、県境は何で分けられている?」
「県境が?」
由美は、恒之が言うのでその周辺の県境を見た。
「川だわ。利根川で区切られている」
「そうだよ。そして、その古墳の密集している所は、利根川の上流だよ」
「本当、山地からちょうど下るあたりの支流に沿っているわ」
「ということは、製鉄だよ」
「製鉄?」
「そうだよ。たたら製鉄の産地だったということだよ。たたら製鉄には膨大な木材を必要とするから山に近くないといけない。そして、それを運ぶために川を利用するから川沿いに位置するんだよ」
「そうよね、川だったわね」
「出雲の斐伊川もそうだろう。そして、その鉄や木材が川を下るんだ。利根川を下っていくと、何処に出る?」
「何処かしら」
利根川は、埼玉県と群馬県、千葉県と茨城県の県境に沿って流れ鹿島灘へ注いでいた。
「ああっ、鹿島神宮と香取神宮に繋がっている」
「そうだったんだよ。利根川は、鹿島神宮と香取神宮の前にあった香取の海に流れ込み、銚子のあたりで鹿島灘に流れ出していたわけだ。つまり、北関東の鉄は、ここを通過していたということだよ」
「やっぱり、あの二つの神社は、重要な拠点に位置していたのね」
「埼玉方面では荒川へも通じていたようだけど、あの大きな利根川流域だよ。その支流も含め北関東一円の流域から産出された鉄や木材が、鹿島と香取の前を通過していたことになるんだよ」
「驚いたわね。でもお父さん、そうなると、前方後円墳は製鉄とのかかわりがあったということになってくるわよ」
「そうなるんだよ。出雲の勢力の発展と共に前方後円墳は拡がり、七世紀半ば出雲の勢力の後退と共に前方後円墳も終焉を迎えている。まったく時期も一致している。それに、あれだけの言ってみれば土木工事だよ。権力や財力だけでなく、鉄の道具が無ければとてもできないだろう」
「なるほどね。巨大な前方後円墳を造ろうとしたら鉄の道具無しでは無理かもね」
「ということは、前方後円墳は、鉄を制していた出雲との関わり、つまりは、出雲の強大な勢力の象徴であったとも言えるよ」
「お父さん、今まで謎だった前方後円墳が解明できたわね」
「そうだね。ところが、まだ分からないことがあるんだよ」
「まだあるって、何が?」
「確かに、前方後円墳は、製鉄で大きな力を誇っていた出雲勢力の墓なのかもしれない。でも、出雲と言えば四隅突出型古墳が特徴だっただろう。出雲の勢力だったとしたら、巨大な四隅突出型古墳があってもいいはずだよ。ところが、そんな古墳なんか聞いたことがないよ」
「それもそうね。じゃあ、出雲の勢力とは違うのかしら」
「いや、時期と言い、その分布状況からして、製鉄の出雲抜きではあり得ないよ」
「前方後円墳の謎が解明できたかと思ったのに、やっぱり素人では無理なのかなあ」
「どうして、出雲の勢力が四隅突出型ではなく、前方後円墳にしたのかということだよ。それが解らなければ、謎の解明とはならないよ」
「そんなの解れば、大ニュースよ」
「そう簡単には、解らないよなあ」
二人は、もう一歩の所で頭を抱えてしまった。
そこに明代がやってきた。
「お姉ちゃん、この休み中に旅行しようよ」
「そうねえ。まあいいけど、何処に行くの?」
「何処かは、まだ考えてはいないんだけど」
居間で二人が話していると、台所にいた洵子がやってきた。
「ねえ、島根半島に行ってみない。この前、日御岬に行った時、その近くに民宿があったのよ。あのあたりから、海に沈む綺麗な夕日が見れそうよ」
「それいいわねえ。じゃあ、そうしようか。お父さんや、明代はどうかしら」
「お父さんは、出雲方面なら大賛成だよ」
「私もいいわよ。どちらかというと、京都や神戸の方なんかが良かったんだけど。やっぱり、夏は海かな」
「じゃあ、決まり。お母さんがいい所を探しておくね」
日頃旅行雑誌を見て慣れている洵子は、早速その計画を立て始めた。
「そうだ、お母さん。私、その途中にどうしても行きたい所があるのよ」
「そう、いいわよ。私は宿泊先をまず探しておくね。わあ、楽しみだわ」
洵子は、雑誌を手にして探し始めた。
「お父さん」
「何だい」
「その旅行の時に、寄って欲しい所があるんだけど」
「別に由美が行きたい所があるなら、いくらでも行くよ」
「須佐之男尊が、稲田姫と新居を構えた時に歌を詠んだと言われているでしょう」
「そうだね。『八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣つくる その八重垣を』だったかな。八重垣神社として今にも伝えられているよ」
「そこに、須佐之男尊や稲田姫の絵が残されているそうなの」
「ああ、天照大御神とされているが、卑弥呼も一緒に描かれているよ」
「須佐之男尊の時代は三世紀頃でしょう。その頃に本当にその歌が作られたのかどうかよく分からないのよ。それで、その絵も含めて一度その神社に行ってみたかったの」
「いいよ。じゃあ、あのあたりには、他にもいろいろ神社があるから一緒に幾つか周ってみようか」
「ありがとう」
「でも、その歌が本当に須佐之男尊が詠んだかどうかは、確かに何とも言えないよな。出雲という地名が、須佐之男尊の時代から果たしてあったのかどうかを考えると、あるいは後の時代に造られたのかもしれない」
「そうよね」
「ただ、出雲の勢力は、漢字の文化圏からやって来ているようだから、そういった歌を詠むという風習もあったのかもしれない。それが、歴代伝えられて万葉集という形で残されたのだろうか」
「どうなんだろうね」
「万葉集は、いきなり雑歌から始まっているだろう。本当は、歴代の大王の歌が先にあったが、それは、ばっさりと削られたとも考えられる」
「そうね」
「とにかく、古代史や万葉集は難しいよ」
それから数日後のことだった。
恒之が台所にいると、隣の居間から由美が携帯電話で話している声が聞こえていた。
「本当に。いいよいいよ、聞いてみるね。ちょっと待って」
由美が、携帯電話を手にしながら台所にやってきた。
「ねえお父さん、お願いがあるんだけど」
「何だろう」
「お父さんも知っているでしょう。玲子がね、休みを利用して出雲大社を見に来たいって言っているのよ。でね、近いうちに我が家が出雲に一泊で旅行に行くからその時においでよって誘ってみたら、かなりその気になっているようだけど、いいかしら」
「お父さんは、別に構わないよ。きっとお母さんや明代も反対しないと思うよ」
「じゃあ、そう言ってみるね」
由美は、また居間に戻って話している。
「詳しくは、また連絡するね」
しばらく話していたが、終わったようだ。
時々由美と古代史の話題をする時に登場した、玲子という友達がやって来ることになった。
恒之は、玲子もかなり研究熱心だという印象を持っている。
また、新たな発見に繋がりそうな予感がした。
梅雨が明けて、夏真っ盛りの日々が続いていた。
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邪馬台国発見
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