32、

 「お疲れ様」
 恒之が、仕事を終えて家に帰ると、居間には由美と明代がいた。
 恒之は、しばらくくつろいだ後、新唐書の資料を手にした。
 『新唐書は、北史や南史以上に歴史を歪めているかもしれない』
 改めて新唐書に目を通した恒之は、以前と違った観点で内容を検討することができた。
 新唐書は、北宋の時代、1060年に成立している。
 この列島では、藤原氏が摂政関白として天皇以上に権勢を誇っていた頃である。
 「ねえ、ちょっとお父さん、そろそろ準備してよ」
 台所から洵子の声がした。
 「お父さん、お母さんが呼んでいるよ」
 「ああ、今日は魚を捌くように言われているんだよ」
 恒之は、明代に言われて腰をあげた。
 「では、みんなにおいしい刺身を食べてもらおうかな」
 滅多に魚を捌くようなことはないが、珠にお客があったり、おめでたいことがあった時などは恒之にその役が回ってくる。
 「鯛にハマチか。豪華だなあ」
 「結構安かったのよ」
 「捌いてない魚は、時々安く手に入るからいいよなあ」
 「鯛の粗で吸い物にするわね」
 「いつものようにボールに入れておくよ」
 その日の夕食は、恒之の作った刺身やオードブルを囲んでの楽しい食事となった。
 そして、後片付けも終わり、恒之はまた居間で新唐書の続きを見ることにした。
 しばらくして、由美も隣に座った。
 「やっぱり、家に帰るとおいしい刺身が食べられるからいいわね」
 「周辺にいくつも漁港があるから、本当に新鮮な魚が手に入っていいよ」
 「新唐書ね。私も以前見たことがあったけど、何かよく分からなかったわ」
 「今まで見てきた内容と全く異なっているが、かなり怪しいよ」
 「どうなんでしょうね」
 「とにかく冒頭から変だよ。旧唐書では、倭国は古の倭奴国なりとあっただろう。そして、日本は倭国の別種なりともあった。つまり、倭国とは、中国と古くから交流のあった九州の倭奴国を指し、日本は倭国の別種であると述べていた。すなわち、北方騎馬民族であるところの日本や倭(人偏に妥)国は、他の民族だとして排他的な認識を示していた」
 「そうだったわね」
 「ところが、新唐書の冒頭では、一転して日本は古の倭奴国なりとあるんだよ。日本は倭国とは別種だと言ってたのに、ちょっと待てよと言いたくなるよ」
 「旧唐書から百年ほどしたら歴史が変わってしまったみたいね」
 「そして、隋書にあったような倭(人偏に妥)国の紹介があるんだよ。ということは、卑弥呼のいた女王国ではなく出雲の大国が、所謂臺(台)だと見なしているようだ」
 「やはり、出雲の方が首長国だったということなのね」
 「その王は、姓が阿毎氏だとあるから間違いなさそうだ。ところが、この国を紹介している内容には、疑問を抱かざるを得ない。まず、仏教の教えを尊ぶとあるんだよ。全国八百万の神の総本山にいる大王が、まるで仏教を信仰しているかのように書かれている」
 「出雲の大国主が、仏教の信者というのはどう考えても無理があるよね」
 「さらに、その王が自ら言った内容だとして、初めての主は天御中主で32世に至るまで皆『尊』を号として筑紫城に居住すると言ったとされている」
 「どういうこと。意味が分からないわ。ちょっと問題ありみたいに思うけど」
 「問題山積みだよ。天御中主がこの国の最初の主だというのは、古事記に出てきただろう。藤原氏が作った古事記の内容を、出雲の大王が語ったことにしている。さらに、代々筑紫城に居住していたとまで語らせている。つまり、邪馬臺(台)国を九州に取り込んだのと同じだよ」
 「徹底した出雲隠しね」
 「旧唐書までは、天皇の名前が誰一人とて登場していなかったのに、新唐書では、歴代の天皇の名前が平安朝まで書かれているよ。そして、用明天皇が隋書にも出た多利思比孤だとしている。つまり、この新唐書は、唐であるところの藤原勢力により、この列島が完全に征服され、出雲を取り込んだ歴史が完成していたことを物語っているんではなかろうか」
 「じゃあ、旧唐書が書かれた時にはまだそういった歴史は作られていなかったのかしら」
 「さあ、そこまでは分からないよ。旧唐書が書かれた九四五年から新唐書の完成した1060年の間に作られて届いたのか、それ以前から届いていたのに採用されなかったか。かなり怪しい内容だからなあ。そのあたりの事情は調べようもないよ」
 「そうね」
 「どちらにしても、北方騎馬民族であるところの出雲王朝が七世紀までこの列島を支配していたが、白村江の戦いで敗れた後、唐に征服されたということだよ。そして、出雲王朝の歴史は、藤原勢力の歴史として取り込まれてしまった。さらに、万世一系という歴史観のもとに出雲王朝の姿は、この世から抹殺されてしまった」
 「歴史が抹殺されただけでなく、大王や多くの人たちも大変な目にあったのでしょうね」
 「何とか助かった人たちは、津軽まで逃げたのだろう」

 「そして、お父さんが言っていたように、万葉集で人麻呂が偲ぶのは、この滅んだ出雲王朝ではないかということね」
 「おそらくそうではないかと思えるんだ。密かに歌にして残したのではなかろうか。大王や天皇も出て来るよ」
 「人麻呂と出雲王朝とはどういう関係だったのかしら」
 「歌からは、出雲王朝に対する強烈な郷愁が感じられるから、かなり深い関係があったと思われるけど、そのあたりは今後の研究課題かな」
 「そうね。万葉集の歌には、暗号とも言えるほどの奥深い意味が秘められているから、まだまだ調べないといけないわね」
 「滅んだ出雲王朝と人麻呂とのつながり。かなり大きな命題だよ」
 「石見には、人麻呂に関わる神社もあるようだし、一度訪ねてみたいわね」
 「そうだなあ。何か新しいことが分かるといいよな」
 そして、長かった連休が終わり、娘達は、それぞれ帰っていった。
 恒之と洵子は、また2人だけの静かな日々に戻った。




                      

   


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