18、
2人は、淀江にある蕎麦屋で昼食を済ませて、妻木晩田遺跡に向かった。
「遺跡発見の時は、大きなニュースになったよね。まだ小学生だったけど、学校でも社会の時間に、先生が話していたのを覚えているわ」
「ゴルフ場開発の中で見つかったから、保存に至るまでは、大変だったそうだ」
「残されて、本当に良かったわね」
「そうだね」
そう言っているうちに遺跡に近づいた。
その場所は、それほど高くはない山々が連なる、一番北へ突き出したあたりにある。
坂道を上がると、遺跡の展示館があった。
「この寒い時期の平日だと、さすがに見物に来る人は無いようね」
車を駐車場に置いたが、その事務所に関係する車しか止まっていなかった。
展示館の中に入ると、やはり訪問者は他にはいなかった。
だが、入った正面には、過去20万人がここを訪れたと表示されていた。
「たくさんの人が訪れているのね」
「そうだね。やはり、わが国最大規模の弥生時代の遺跡だから、関心も高いのだろう」
遺跡や当時の生活振りを紹介するビデオも流されていた。
一通り展示物やビデオを見て、資料もいくつかもらった。
「さあ、4隅突出型古墳を見に行こう」
「でも、どうしてこの山陰地方だけにしか見られないのかしらね」
「出雲系の象徴のようには言われているけどね。それにしても、どうして4隅が突出しているのだろう」
2人は、疑問を抱えながら展示館を出た。
そして、雪が所々残る中、そこから200メートルほど歩いた先に、その遺跡はあった。
「ほら、当時の住居が復元されているわ」
円形に土が掘られた中に立てられた、柱や軒の上を藁のような物で囲い、その上がさらに土で覆われている。
「なるほど、これなら寒い冬でもしのげそうだね」
近くでよく見ると、出入口と反対側の窓と思われる所から煙が出ていた。
「どうしたのかしら、中はすごい煙よ」
恒之は、まさか火事でもあっては大変だと思い、中を覗いて見た。
暗くて見えにくかったが、中で薪を焚いているようだ。
「こんにちは」
中の方から声がしたので驚いた。
煙で建築物を燻しているのだろうか。
窓は開けてあるが、中が低くなっているので酸欠や一酸化炭素中毒になりはしないか心配になった。
そこから少し行くと、古墳が並んでいた。
「おお、これだよ」
バレーボールかそれより少し小さい石が、方墳の周囲に並べられている。
そして、4辺は弓状に湾曲していて、4隅は、ヒトデのように伸びた形になっている。
その中でも一番大きな古墳は、洞の原1号古墳と表示されていた。
「ほら、これが4隅突出型古墳だよ」
「大きさにもいろいろあるのね」
「そうだね。大きいのが2つあって、周辺に小さいのが囲むように並んでいるよ。まるで親子みたいだ」
「小さいのが3つあるけど、周囲に石は並べてないわね」
その一番小さい3つの古墳は、小さいながらも4辺が湾曲し、4隅が尖っていた。
「古墳というと土が盛り上がっているように思ってしまうけど、このタイプは地面と大した変わらないよ」
「そうね、まるで花壇の周辺にレンガが置いてあるみたいね」
「そうだよなあ。これだけ、低いと境界も分からなくなってしまいそうだから、そのために石が置いてあるとも考えられるよなあ」
「でも、どうして4隅が突出しているのかしらね」
やはり、疑問はそこへ行く。
石が周辺にたくさん並べられているのは、確かに境界線が分からなくならないようにとも思える。
だが、どうして長方形や正方形ではいけなかったのだろう。
「4隅が突出というか、辺が湾曲になっているよなあ。その湾曲になった辺を、4方向からくっつけると必然的に4隅は突出せざるを得なくなるよ」
「そうよね」
「4隅を突出させるために、なだらかに辺を湾曲させたのか。辺を湾曲させたくて結果的に4隅が突出したのか」
「どうなんでしょうね」
「たとえば、今日みたいに雪が残っていたり、雨が降った時に、水はけをよくするためかもしれないよ。できるだけ中心から遠くに早く流れ出るようにということではないかなあ。山陰は雨や雪が多いだろう」
「でも、それなら、土を盛って中心を高くすればいいじゃない」
「まあ、それもそうだよなあ。だから、後には土が盛られるようになったとか」
「何か宗教的な意味があるのかも知れないし、簡単には分からないわね」
2人は、次の場所へ移動した。
「わあ、ここは見晴らしがいいわね」
「日本海や島根半島から米子市など、北から西にかけて一望できるよ。残念ながら大山は後ろの山に隠れている」
恒之は、その周辺を撮影した。
「こんな見晴らしのいいところで生活するのもいいかもしれないわね」
「そうだね。見晴らしは確かにいいけど、便利かどうかは分からないよ。先ほどの資料にも、ここの西側は入江だったり湖だった時期があって、そこから魚を獲っていたとあっただろう。収穫した獲物を持って、ここまで上がってくるのは、かなり大変だよ」
「まあ、男の人はそうかもね」
「女性も、例えばここは山の上だから水が無いだろう。川の近くまで行って水を運ぶなんてことになると、やはり、山の上で生活をするには不便なこともあったと思うよ」
「確かに山の上に水は無いよね。まさか井戸なんか掘ってなかったでしょうし」
2人は、古代の人たちの暮らしに思いを寄せながら、しばらく周囲を眺めていた。
「そこの土が盛り上がっているのは古墳みたいね」
「そうだなあ。そう見えるよ」
周辺には、いくつか方墳と思える古墳があった。
一番見晴らしのいい所には、古代の高床式の建物が2棟建てられていた。
「さあ、そろそろ戻ろうか」
「そうね」
恒之は、もう1度、4隅突出型古墳を撮影して、まだ雪の残る道を駐車場に向かった。
「お父さん、この近くに歴史民族資料館があるみたいよ」
由美が、手にしている資料を見ながら話している。
「どうしよう。寄ってみるかな」
「そうね、どんな物が展示してあるか、とりあえずは見ておきましょうよ」
妻木晩田遺跡から、車で少し南に行ったところに資料館があった。
「あっ、これは『石馬』だよ。聞いてはいたが、ここに展示されていたんだ」
展示室に入ると、その正面に仔馬ほどの大きさの『石馬』があった。
「これ鞍よね。飾りまで細かく彫刻されているのね」
「近くにある前方後円墳に石人と共に並べられていたそうだ」
「かなり風化しているようね」
そばに、資料も置いてあった。
「九州では、八女市を中心に、福岡県や熊本県で出土しているみたいだが、本州ではここだけだそうだ」
「それは、貴重な資料ね」
「国の重要文化財にも指定されているよ」
「でも、福岡県や熊本県と、ここだけというのも何か意味のありそうな話ね」
「繋がりは、北方騎馬民族かな」
「さあ、どうでしょうね」
2人が、そこから奥へ入ると、高さが1メートル以上もありそうな復元された壷が展示してあった。
角田遺跡出土絵画土器と記されていた。
「大きな壷ね。発見された土器の断片で復元されているわよ。あっ、絵が画いてある」
「おおっ、これは!」
恒之は、思わず近寄り、その壷の首のあたりに描かれている絵に見入った。
「船に人が乗って漕いでいるわね。その横には、高床式の建物だわ。こちらは、何重もの大きな輪があるから、太陽が輝いているということのようね」
「この高床式の建物は、相当高そうだよ。斜めに梯子が掛けられているけど、上の方は小さく画かれているだろう」
「すごいわね。遠近法よ」
「遠近法という描き方を意識はしていないだろうけど、見たまま感じたままを画いたんだろう。つまり、それほど高かったということだよ」
「梯子の上の方は、もう殆ど巾がないわよ」
「天にも届きそうだということかな。そうか、あるいは、天の神である太陽神を奉る民族が船でやって来た。そして、そこには、高床式の建物が建てられていた。そんな意味ともとれるよな」
「そんなにも高い高床式の建物って、あの長瀬高浜遺跡にあったものじゃないかしら」
「そうだね。または、この海岸周辺にも建てられていたのかもしれないよ」
「でも、うまく特徴をつかんで描いているわね」
「以前行った吉野ヶ里にあった高床式の建物は、この絵を参考にしているそうだよ」
「そう。これが、そうだったの」
「とても、貴重な資料ね」
2人は、そこの資料をいくつかもらって、資料館を後にした。
「このあたりには、本当にいろいろな遺跡があるのね」
「そうだね」
帰る車の中で、由美が先ほど手に入れた資料に目を通していた。
「ねえ、ちょっと、お父さん」
資料を見ながら、由美が何か驚いている。
「どうした」
「石馬は、福岡県や熊本県と本州ではここにしか出土していないって話だったよねえ」
「そうだったよ」
「ここの石馬が発掘された石馬谷古墳や、あの歴史民族資料館のあるあたりの地名は福岡って云うそうよ」
「地名が福岡だって」
「そうみたいよ。このあたりの古墳群や上淀廃寺跡から妻木晩田遺跡にかけてはそういう地名みたいね」
「どういうことだろう。何か関係があるのかなあ」
「何かありそうよね」
2人は、古代人たちの人の流れに思いを馳せながら家路についた。
その帰る途中、雪化粧した大山がとても綺麗に見えた。
「雲ひとつ無い天気だから、大山が良く見えるわね」
「この時期、こんなに綺麗に見れるなんてことは滅多にないよ」
「本当に綺麗よね」
「どこかで撮影しようか」
恒之は、良さそうな撮影ポイントで車を止めて、大山の山並みを撮影した。
「妻木晩田遺跡は、これで取材と撮影ができたから、次は出雲大社周辺だよ。いよいよクライマックスだな」
「何がクライマックスなの」
「古代史探索だよ。何と言っても、わが国の歴史は、出雲抜きでは考えられないからね。また、天気の良い日があったら出かけようかな」
「いよいよ、出雲大社ね。一緒に行けるといいな。私、まだ出雲大社には、行ったことがないのよね」
「そうか、では、由美がこちらにいる間に行こうか」
次の取材で、出雲周辺へ行くことを考えると、恒之は、またうれしさで一杯になってくるのであった。
帰る道すがら、大山は、それからも時折、雄大な姿を覗かせていた。
|
邪馬台国発見
Copyright (C) 2008 みんなで古代史を考える会 All Rights Reserved.