古代史で今を解く


 (5) 2013年08月09日 滋賀県で銅剣鋳型出土…北方騎馬民族渡来の痕跡

 滋賀県文化財保護協会は、8日、同県高島市上御殿遺跡で、銅剣の鋳型が出土したと発表しました。
 そのおよそ30センチの鋳型は、2枚一組の板石で、中国の華北や内モンゴルに分布したオルドス式銅剣の特徴を持ち、国内で初めての発見となるものです。オルドス式銅剣とは、内モンゴルのオルドス地方で発見されたことから名付けられ、柄は、動物や双環などのモチーフで飾られ、騎馬戦や接近戦での武器として使われました。
 今回の発見は、河川改修に伴う発掘調査によるもので、傾斜地からほぼ同じ大きさの鋳型が2個上下に重なって出土しています。どちらも泥岩製で短剣の型が掘られた面が合わせられていました。その石材の産地は不明で、また、鋳型の彫り込みが浅く、およそ3ミリ程度しかないため実用品としては考え難く、未使用でもあり、試作品か失敗作かとも見られています。
 柄には、「く」型を連ねた綾杉紋(あやすぎもん)や「のこぎりの歯」型をした鋸歯紋(きょしもん)が細い線で刻まれており、弥生時代の銅鐸にもよく見られる文様で、その時代の物と見られています。ただ、その周辺から集落跡が見つかっておらず、他の遺物がほとんど出土しないので、弥生中期から古墳時代前期、紀元前350年から紀元後300年頃と年代に幅を持たせています。
 九州などで出土している銅剣は、中国の遼寧式と呼ばれている銅剣がモデルだとされており、今回のオルドス式銅剣は、九州や朝鮮半島などにも出土例はなく、大陸から日本海ルートで伝わったとも見られ、その伝達ルートも含め、我が国の歴史の見直しも迫られるものとして大きな衝撃を与えています。
 「思ってもみない発見で驚いた」など、鋳型が、大陸との窓口だった九州や近畿を飛び越え近江の地で出土したことに、多くの研究者が頭を抱えているとも報じられています。
 今回の出土が持つ意味は、我が国の記紀認識を根底から覆すものとなっているところにあります。鎖国的な記紀認識にあっては、この列島から人類が発生したかのように描き、大陸からの渡来人の歴史を抹殺しています。ですから、北方騎馬民族の使う武器の鋳型が、近江から発掘したことを記紀認識では説明のしようがなく、「頭を抱える」しかないのです。
 では、騎馬民族が、騎馬戦でその銅剣を逆手に持って振り下ろし、相手にトドメを刺すオルドス式銅剣という武器の鋳型が滋賀県の遺跡で発掘されたことは、いったい何を物語っているのでしょう。
 それは、謎でもなんでもありません。北方騎馬民族がこの列島に渡来していたことを指し示しているだけのことです。我が国の真実の歴史を消し去った記紀認識にある人々には、全く理解不能でしかありません。
 つまり、紀元前にまで遡り、中央アジアにまでおよぶ世界史的検証を加えることなくしてこの列島の本当の歴史を知ることはできません。このサイトでも公開していますが、この列島には、大陸から数多くの民族が渡来しています。その詳細については、「大陸から渡来した4大民族」をご参照ください。
 そこでも、述べていますが、今回のオルドス式銅剣の鋳型を残したのは、当時、大陸における戦いに敗れ、大陸から追われてこの列島にやってきた「東胡(とうこ)」という民族です。彼らは、もともとは中央アジアのトルコ地方から、アレキサンダー大王の東征から逃れて満州エリアにやってきていた騎馬民族です。そして同様にトルコ地方から逃れてモンゴルエリアにきていた「匈奴」との民族紛争(紀元前205頃)に敗れ、「東胡」は、「鮮卑(せんぴ)」と「烏丸(うがん)」に分裂します。その折に、東胡の一部がこの列島に逃避してきました。
 その東胡の勢力は、騎馬民族であり製鉄が基本産業で、その強力な鉄の武器でこの列島全域を支配下におくようになります。その王が、西暦107年、後漢に朝貢し160名もの奴隷を献上しています。
 そして、その後、東胡の末裔である鮮卑は、大陸で力を盛り返し、紀元後1〜2世紀頃、逆に匈奴を打倒します。この頃に匈奴もこの列島に渡来してきます。当時、この列島で東胡の制圧下に置かれていた人々と、匈奴の勢力は、東胡の支配打倒に立ち上がります。それが倭国大乱と中国の史書にも残されています。その戦いを制したのが「スサノオ尊」をシンボルとする匈奴でした。そのスサノオ尊は、在来の勢力のシンボルである「卑弥呼」を国家的象徴として、西暦190年頃に連合国家を築きました。その卑弥呼の国を「一国」として奉り、自らは「大国」としてその下に描きました。その連合国家の象徴が「天」です。その「天」という文字は、鳥居としても奉られていますが、「一」と「大」という文字で構成されています。ですから、卑弥呼の国は「一国」で、出雲の国は「大国」でなければいけなかったのです。
 この卑弥呼を国家的象徴とし、スサノオ尊を実質的支配者として出発した連合国家は、西暦663年秋、鮮卑族である「唐」によって占領征服されてしまいます。それ以後1300年にわたってこの列島は、鮮卑族の支配下に置かれ続け、本当の歴史も抹殺され今のような架空の歴史が、彼らの手によって創作されました。そういった架空の歴史がこの列島の歴史だとほとんどの研究者が思っているため、今回のような貴重な歴史的遺産が出土しても、その意味が全く理解できないということになってしまっています。
 この国の本当の歴史は、世界史的検証なくして認識することはできません。記紀認識が、まやかしの歴史認識であることが理解できるかどうかの試金石を突きつけられているというのが、今回の銅剣鋳型の出土であるとも言えます。

 





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