今昔なぜなぜ?      Q & A

<古墳>

「前方後円墳とは?」

 古墳の中でも、最も大きな規模で築造されたものが前方後円墳です。そして、それが造られていた時期が、古墳時代と呼ばれており、およそ3世紀半ばから7世紀中頃までとされています。それは、同時に、その時期に、それだけの大きな勢力が存在していたことも意味しています。
 また、前方後円墳と言われていますが、たしかに円墳部分は円ですが、方墳部分は、決して方形ではありません。多くの前方後円墳を検証してみますと、その方墳部分の両隅は直角ではなく鋭角となっています。その線を伸ばしてみますと、円墳の円周上で交差しています。つまり、前方後円墳の形状は、円と2等辺3角形の合体となっています。
 そもそも、古墳とは当然ながら古代人の墓であり、その埋葬方法にはその民族の理念が込められています。ですから、その円と3角形に何らかの思いが込められたとも考えられます。
 では、いったい、この列島のみならず朝鮮半島にまでその痕跡を残した勢力とは、どんな勢力だったのでしょう。それは、我が国の歴史においては、消し去られているため、大陸の歴史に残されている史書などを検証することでようやく見えてきます。
 2世紀半ばから、この列島では「倭国大乱」という大きな戦乱の時代が続き、190年頃にその戦乱を征したスサノオ尊を始めとした出雲の勢力は、宮崎の西都原にいた「卑弥呼」を女王として統一国家を築きます。この後、「前方後円墳」が造られるようになります。そして、その「卑弥呼」の国が国家的象徴であるところの「女王国」として、一方、スサノオ尊を始めとする出雲(やまと)にいた実質的支配者が、「倭王」あるいは「大倭王」として、「三国志魏書(魏志倭人伝)」や「後漢書」に描かれていました。
 この統一国家は、この列島において大きく発展し、朝鮮半島をもその勢力下におくほどになります。そういった、5世紀頃の『倭の5王』の姿が、「宋書」に残されていました。
 しかし、この統一国家は、663年秋、唐王朝によって征服され、その歴史までが抹殺されてしまいました。つまり、「前方後円墳」の造られた時代、「古墳時代」とは、スサノオ尊と卑弥呼により統一国家が築かれた頃に始まり、その統一国家が滅ぼされるまでで、まさしく出雲王朝の時代に相当します。
 したがって、「前方後円墳」とは、この列島のみならず朝鮮半島にまで大きな勢力を築いていた、『出雲王朝』、あるいはその『統一国家』の勢力の墳墓でした。
 そういった歴史は、この列島を占領した唐王朝の勢力によって消し去られてしまいました。

http://kodai21-s.sakura.ne.jp/zen.html


邪馬台国       古代史

邪馬台国発見

ブログ「邪馬台国は出雲に存在していた」

国産ローヤルゼリー≪山陰ローヤルゼリーセンター≫

Copyright (C) 2011 みんなで古代史を考える会 All Rights Reserved.