<邪馬台国>
「卑弥呼はどこにいたんですか?」
魏志倭人伝には、「女王國東渡海千餘里、復有國」とあり、後漢書には「自女王國東度海千餘里至拘奴國」とあります。つまり、卑弥呼のいた国から東には海があったことになります。さらに、その先にはまた国がありました。その女王国に至る道程も魏志倭人伝には記されています。それらから、卑弥呼のいた女王国「邪馬壹国」は南九州となります。
最近、近畿に卑弥呼の墓があるようなことがよく言われますが、古代史を少々学んだ者には、そんなことが有り得ないといったことは簡単に分かることです。そこには、歴史を改ざんした勢力が、あくまでそこにしがみつこうとするあわれな姿勢があるだけです。
卑弥呼が居たのは、今の西都市で、その場所には、都万神社があります。そして、卑弥呼の墓は、西都原台地の古墳群の中の我が国最大の円墳(わずかに方墳がついているので帆立貝式古墳とも呼ばれます)である男狭穂塚古墳です。
しかし、その地は、あくまで女王国「邪馬壹国」であって、決して邪馬台国ではありません。
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