今昔なぜなぜ?      Q & A

<邪馬台国>

「邪馬台国はどこにあったんですか?」


 邪馬台国を含め、当時のこの列島の姿を知ろうとしても、我が国に残されている文献や遺跡からは、その姿は見えてきません。それは、歴史が改ざんされているからです。では、なぜ歴史を偽る必要があったのでしょうか。実は、その動機にこそ真実を解き明かすカギが潜んでいました。そして、我が国に残されている歴史と、大陸に残されている史書などの歴史と付き合わせることによって、我が国の当時の姿が蘇ってきました。
 紀元2世紀頃、この列島は、大陸から戦いに敗れて逃れてきていた東胡という民族に支配され、その隷属下に置かれていました。そして、列島各地の人々は、毎年、奴隷の供出を強制されてもいました。それが、あしなづち・てなづちの娘が「やまたのおろち」にさらわれていくという神話の背景です。「やまたのおろち」の「やまた」とは、「八岐」、つまり、本州・九州・対馬・壱岐・隠岐・四国・淡路島・佐渡島という8つの拠点を意味します。おろちは、蛇です。当時のこの列島全域を支配していた勢力の残忍な支配をそこに表現しています。
 当時の王が、107年、その奴隷を後漢の安帝に160名も献上したと、後漢書には記されています。また、その東胡の圧政を打ち破るために挑んだ「やまたのおろち」との戦いが、「倭国大乱」と大陸の史書には残されています。
 2世紀末、数十年にわたる「倭国大乱」を制したスサノオ尊をはじめとする出雲の勢力は、卑弥呼をはじめとする九州・宮崎の勢力と統一国家を築きました。その時、卑弥呼の国は「一国」、スサノオ尊の国は、「大国」とされました。それは、「一」と「大」で「天」という文字になるからです。つまり、その両者によってこの世界が構成されているという概念によるものです。そして、それは、上に位置する「一」、卑弥呼が国家的象徴で、下に位置する「大」、スサノオ尊が実質的支配者として支えるという関係でもありました。これは、今で言えば天皇と総理大臣という関係にも通じています。史書には、補佐する弟とあります。大佐・中佐とかの「佐」です。ですからその「佐」の王が、「スサノオ」につながったとも考えられます。その統一国家の象徴が「天」で、全国津々浦々の神社で祀られ、神社の前にある鳥居はその「天」を象ったものです。
 卑弥呼の国である「一国」は、いわゆる魏志倭人伝に「壹国」と記されました。それは、日向国一宮「都農神社」の神紋の「一」として伝え残されています。その卑弥呼が居た地に今は都万神社があります。「都農」と「都万」、つまり、スサノオ尊と卑弥呼を意味する殿と妻です。卑弥呼の墓は、西都原台地にある古墳群の中にあり、今は「男狭穂塚古墳」と呼ばれています。
 一方、実質的支配者スサノオ尊の国は「大国」と呼ばれ、その都は出雲にありました。出雲大社やその周辺にある神社の神紋には「大」という文字をよく見かけます。その出雲の地は、当時は「やまと」と呼ばれ、この列島の都を意味していました。その地が後漢書に『邪馬臺国』と記されました。その『臺』の文字は、皇帝の居する都を意味する文字ですが、常用漢字では使われていないため、「台」という文字が当てられています。つまり、この出雲の地にあった都「やまと」こそが、今我が国の古代史最大の謎とされている邪馬台国を意味していたのです。
 では、どうして、そのような歴史が残されていないのでしょう。
 その原因は、西暦663年11月18日(旧暦10月10日)、唐王朝によって占領・征服されていたということにありました。そして、当時の大国の今で言う総理大臣に相当するのが大国主命で、唐王朝に征服された折に、多くの家臣とともに稲佐の浜で惨殺されてしまいました。その弔いが、今も出雲で毎年旧暦の10月10日の神迎祭に始まる神在祭です。
 そして、その唐王朝の勢力は、この列島を侵略・征服したことも、出雲王朝が存在していたことも歴史から消し去り、さも太古の時代からこの列島を支配していたかのような歴史を、自らに都合良く創作したのです。天皇の祖先が天照とされていますが、その天照は男性神「いざなぎ」が顔を洗った時に左目から生まれています。ちなみにその時に鼻からはスサノオ尊が誕生しています。それが本当なら、天皇は人類ではなくなります。そんな荒唐無稽のフィクションが唐王朝の勢力の手で創作され、1300年を経た今もなお、我が国の人々は、そんなまやかしの歴史に騙され続けているという状況にあります。同様に、出雲にあったこの列島の都「ヤマト」は、奈良の地にあったかのような架空の歴史が創作され、邪馬台国の地も近畿だとか九州だとか言われています。
 邪馬台国のみならず、我が国の古代史に多々ある不可解な謎が解明出来るかどうかは、唐王朝によってこの列島が征服され、改ざんされた歴史が押し付けられていたということが認識出来るかどうかにかかっています。
 また、その改ざん勢力は、今もなおこの列島を支配しており、自らの勢力が改ざんした歴史を、未だに必死に守ろうとしています。彼らの化石のような歴史認識は、1300年前から停止したままです。


邪馬台国       古代史

邪馬台国発見

ブログ「邪馬台国は出雲に存在していた」

国産ローヤルゼリー≪山陰ローヤルゼリーセンター≫

Copyright (C) 2011 みんなで古代史を考える会 All Rights Reserved.