<天皇>
「天智天皇と天武天皇は、本当に兄弟なんですか?」
我が国における天皇制の中で、「天」がつくのは、この天智と天武だけです。また、天智が兄で天武が弟だとも言われています。そこには、天皇制のルーツに関わる根本的なことが秘められています。そして、それらが何を意味しているのかを、我が国の支配勢力は知っています。何も知らないのは、あるいは知らされていないのは、1300年来、彼らの支配下に置かれている庶民だけです。
そもそも天皇制がいつどのようにしてこの列島に誕生したのかは、この国の歴史からは消されているので、大陸に残されている歴史と突き合わせることでしか知ることはできません。そして、それを突き詰めていきますと、西暦663年11月18日(旧暦10月10日)、唐王朝によって、この列島の都があった「出雲(当時はヤマトと呼ばれていました)の地が、占領・征服されていたところに行き着きます。もちろん、この列島全域もその支配下に置かれました。その詳細は資治通鑑に残されています。唐王朝第3代皇帝李治の皇后武則天の時にこの列島が征服されているので、今もこの列島には武則天の影響が色濃く残されています。天皇もそのひとつです。武則天は、道教の理念から皇帝を天皇に、皇后を天后という呼称に替えました。しかし、武則天の失脚後は、再び皇帝と皇后にもどされています。ですから、中国皇帝制度の中で、天皇を名乗ったのは、武則天の夫李治のみです。
つまり、我が国において天皇制が誕生したのは、唐王朝の支配がこの列島で確立した大宝律令制定以後です。天皇とは、元々この日本にあったものではなく、唐王朝・武則天をルーツとし、その唐王朝の植民地下に置かれた後に強制的に導入されたものだったのです。
そして、唐王朝宗家は李氏で、武氏はあくまで李氏宗家を補完する外戚に過ぎません。その関係は、この列島でも同じです。それを、密かに伝えているのが、天智と天武の関係です。天智が唐王朝第3代皇帝李治を、天武がその李治の皇后武則天を意味しています。我が国の天皇の中で、「天」が唯一その二人につくのは、中国皇帝制度にあって李治と武則天が天皇と天后を唯一名乗ったことに起因しています。そして、天智が兄で天武が弟というのは、肉親関係ではなく「兄貴分・弟分」といった権力の上下関係を意味しています。
ですから、我が国にあっても、武氏、つまり武士は、天皇の手下としてこの列島の人々を直接支配下にする天皇の補完勢力です。その支配関係は、663年以降、何ら変わりはありません。ところが、我が国においては、そういった歴史は、記紀認識で消されています。また、李という文字は「木」と「子」に別れます。ですから、この列島では、「き」と「し」で「岸」を名乗ったとも言われています。
我が国の歴史にあって、天皇をはじめ、数多くの歴史の謎が存在するのは、その唐王朝に征服された後に、この列島の歴史が彼らによって都合良く作り替えられたことによるものです。つまり歴史の改ざんです。その改ざん勢力は、今も我が国の中枢を支配しているので、その改ざんされた歴史が、我が国の歴史だとしてほとんどの人々が洗脳されたままとなっているのが、我が国の悲しい実態です。
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