今昔なぜなぜ?      Q & A

<天皇>

「天皇に戦争責任はないのですか?」


 天皇の戦争責任は、戦後、不問に付されています。それは、アメリカと我が国の支配勢力との「裏取引」によるものでもあります。アメリカは、我が国を支配下にするために、天皇制の存続で脅し、我が国の支配勢力は、その存続のためだけに全てをアメリカに明け渡しました。ですから、『耐え難きを耐え、忍びがたきを忍び』ということになります。そこには、大陸へ侵略していったことに対する反省や、自らの戦争責任といった認識は、微塵も見られません。
 では、我が国の支配勢力にとって、天皇とは何なのか。すべては、そこに行き着きます。その本性は、我が国の古代史にまで遡らなければ理解し得ません。そして、それは我が国においては消されているので、大陸に残されている歴史と突き合わせるしか方法はありません。
 そして、それを突き詰めていきますと、西暦663年11月18日(旧暦10月10日)、唐王朝によって、この列島の都があった「出雲(当時はやまとと呼ばれていました)」の地が、占領・征服されていたところに行き着きます。もちろん、この列島全域もその支配下に置かれました。その詳細は、資治通鑑に残されています。唐王朝第3代皇帝李治の皇后武則天の時にこの列島が征服されているので、今もこの列島には武則天の影響が色濃く残されています。天皇もそのひとつです。武則天は、道教の理念から皇帝を天皇という呼称に変えました。しかし、武則天の失脚後はふたたび皇帝に戻されています。ですから、中国皇帝制度の中で、天皇を名乗ったのは、武則天の夫李治のみです。つまり、この列島に天皇制が誕生したのは、唐王朝の支配がこの列島で確立した大宝律令以後です。したがって、その後、我が国は、武氏(士)によって制圧され続けています。
 その唐王朝も907年朱全忠に滅ぼされこの列島に流れ着きます。その時に持ち込んだ宝物が今も東大寺正倉院で保管されています。そして、彼らは、再び大陸を支配下にしようと、秀吉の時代、あるいは明治維新以降大陸へ侵略していきました。「唐王朝再興」それこそが、彼らの存在意義です。
 しかし、そのような時代錯誤も甚だしい思惑は、世界の民主主義勢力によって敗北に追い込まれました。ところが、我が国の支配勢力は、再び、米軍とともに大陸侵略を目指そうと考えたのです。その思惑の上に日米安全保障条約が締結されました。同時に、「自衛隊」なる軍隊も再構築されました。
 武則天を始祖神と仰ぐ彼らにとって、その武則天が命名した「天皇」は、再び大陸制覇した時のシンボルとしなければなりません。それでこそ、彼らの本懐は遂げられることになるのです。ですから、戦後処理で「国体護持」と称して天皇制の存続を最優先に追求したのです。武則「天」の本名・幼名は、武「照」、つまり、天皇の祖先とされている天照の本性は武則天でした。その天照は、今も伊勢神宮で祀られ、それを象徴するかのように、伊勢神宮の神紋は、花菱、別名唐花とも呼ばれています。その伊勢神宮に、毎年、年始に我が国の現職総理大臣が憲法の政教分離に反してまで参拝しています。庶民の初詣とは意味が違います。現職総理が、武則天に忠誠を誓うかどうかの現代の「踏み絵」とされています。
 彼らにとっては、天皇自身というよりも、武則天をルーツとする天皇というシステムこそが必要であり、お祭りの時の神輿のようなものです。その担ぎ手の思惑に沿わない天皇は排斥されるので、担ぎ手の赴くままに動かざるを得ないのが天皇です。
 そのアジア支配を企む勢力を封印しているのが今の憲法です。それゆえ、彼らは、その封印を解こうと憲法改定に血道をあげています。そして、その思惑のために必要だったのが、原発によって手に入れることができる、核兵器の材料となるプルトニウムでした。
 日本を戦争に導いた勢力は、今再び大陸へ向けて侵略を企んでいるというのが、今の我が国の実態です。その彼らの特権支配を体現化したのが戦時中の明治憲法です。それゆえ、彼らは、まるで「新しい」ことかのように装って、明治憲法への回帰を目指します。

http://kodai21-s.sakura.ne.jp/ko-m.html


邪馬台国       古代史

邪馬台国発見

ブログ「邪馬台国は出雲に存在していた」

国産ローヤルゼリー≪山陰ローヤルゼリーセンター≫

Copyright (C) 2011 みんなで古代史を考える会 All Rights Reserved.