<天皇>
「天皇制は、いつ誕生したんですか?」
天皇制がいつ誕生したのかは、我が国のあらゆる文献や遺跡などをいくら調べても分かりません。それは、そういった歴史がこの列島からは消されているからです。ただ、我が国の中枢を支配している勢力は熟知しています。自らのことですから。ほとんどの庶民は、それを知ることができなくされています。そういったことを知るには、唯一、大陸に残されている史書などに残されている歴史を紐解く以外に方法はありません。
「天皇」という呼称は、西暦660年、当時の唐王朝第3代皇帝李治の皇后武則天が、道教の理念に基づいてあみだしたところにそのルーツがあります。しかし、武則天が失脚と共に、再び皇帝に戻されています。ですから、中国皇帝制度にあって唯一李治のみが天皇を名乗っています。その時、皇后は天后としています。
西暦663年11月18日(旧暦10月10日)、この列島の当時の都出雲(その頃はヤマトと呼ばれていました)が、その唐王朝によって占領・征服されてしまいました。この列島を制圧したのが、武則天の勢力、つまり武氏でした。そしてその後も武氏、すなわち武士にこの列島の人々は隷属下に置かれ続けます。さらに、唐王朝は、律令制・租庸調など、政治・法律・経済・文化・歴史・暦・言語などなど、この列島のあらゆるものを唐風に作り替えてしまいました。言ってみれば、戦時中における、韓国併合と同様の支配形態です。あのまま韓国が支配され続けていたら、将来は、今の日本のようになっていたことでしょう。
その唐王朝による占領下で、位階制度、つまり天皇を頂点とする身分制度が、この列島に導入されました。それは、手直しされながら、今も残されています。我が国に、今に至るまで差別が根強く残っているのは、ここにその原点があります。そして、この列島に天皇というシステムが導入されたのはこの時です。そして、唐王朝の勢力は、唐(藤)を源(原)とするという意味で、藤原氏を構成し、この列島の人々を植民地支配下に置き、その後1300年以上もこの列島を支配し続けるのです。戦前、貴族と言われていたのは、この唐王朝の勢力を中心とした支配勢力を意味しています。そして、その支配下にある庶民とは、主に663年までこの列島に暮らしていた先住民族の末裔です。
さて、天皇のルーツにあたる武則天は、自らも即位し、「聖神」皇帝を名乗ります。つまり、聖なる「神」である「武」則天こそ、神武天皇という名称とその概念に秘められていた本性です。すなわち、初代天皇が、「神武天皇」というその概念の本質は、天皇というシステムや名称のルーツが武則天にあるということを伝え残したものだったのです。
そして、西暦663年にこの列島を支配下にしたその唐王朝の勢力は、紀元前660年からこの列島を支配下にしたかのような、歴史の改ざんを行なったのです。神武から元正までの諡号は、8世紀後半に、淡海三船が一括撰進したもので、それらの天皇は実在などしていません。
そして、この列島の人々は、その架空の歴史認識で騙され続けて今に至ります。1300年も騙され続けますと、それがこの国の歴史だとみな思ってしまっているというのが、我が国の悲しい実態です。
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