今昔なぜなぜ?      Q & A

<神話>

「天の岩戸伝説の意味するものは?」

 記紀に描かれている「神話」が何を意味しているのかは、長年の謎だったとも言えます。それらが、何を示唆し、その創作者の意図や目的は何だったのか。まさしく、そこが最大の謎と言えます。しかし、その謎を解くには、我が国に残されている文献や遺跡だけでは解明できません。
 それは、大陸に残されている歴史と突き合わせることによってのみ見えてきます。つまり、淡路島の歴史を検証しようとしますと、この列島全体の歴史との関わりが必ず必要となるのと同様です。なぜなら、そこに人の流れがあったからです。
 そういった見地から、我が国の神々、そして神話について検証してみましょう。
 我が国における神々、その神々が祀られている神社、それらにはいくつかの系列があります。
 その最大の勢力をなすのが、スサノオ尊を中心とする出雲の神々です。では、どうして出雲の神々が全国津々浦々で祀られることになったのでしょうか。それを検証することで、神話が何を意味しているのかも見えてきます。
 紀元2世紀頃、この列島は、大陸から戦いに敗れて逃れてきていた東胡により支配され、その隷属下に置かれていました。そして、列島各地の人々は、毎年、奴隷の供出を強制されてもいました。それが、あしなづち・てなづちの娘が「やまたのおろち」にさらわれていくというお話の背景です。西暦107年には、その倭王が、後漢に160名もの奴隷を「献上」しています。「やまたのおろち」の「やまた」とは、「八岐」、つまり、本州・九州・対馬・壱岐・隠岐・四国・淡路島・佐渡島という8つの拠点を意味します。おろちは、蛇です。当時のこの列島全域を支配していた勢力の残忍な支配をそこに表現しています。
 その支配を打ち破ろうと挑んだ戦いが、「倭国大乱」と大陸の史書に残されています。
 そして、その東胡の残忍な支配を打ち破ったのがスサノオ尊をはじめとする出雲の勢力でした。ですから、スサノオ尊は、この列島の人々から大きな感謝の思いを込めて神として崇められ、全国津々浦々の神社で祀られました。このことが、「やまたのおろち」の退治の意味するところです。
 ところが、その出雲王朝は、7世紀まで続きますが、663年秋、唐王朝によって征服されてしまいました。唐王朝の勢力は、東胡の末裔になる鮮卑族です。そして、武則天の時にこの列島が征服されています。本名・幼名が武「照」の武則「天」は、この列島では、天照として伊勢神宮に祀られています。
 天照がスサノオ尊の乱暴狼藉で天の岩戸に隠れたというのは、「倭国大乱」でスサノオ尊の勢力によって、鮮卑の祖先である東胡のこの列島における支配が奪われたことを示しています。そして、663年秋に唐王朝・鮮卑によって再び支配が復活することになったので天照が岩戸から出てきたと表現されています。
 つまり、天の岩戸伝説とは、東胡・鮮卑族からの視点でこの列島における支配を描いたものです。スサノオ尊にこの列島の支配の座が奪われ、再び唐王朝が取り返したことを意味するものです。彼ら鮮卑族にとって出雲王朝の時代は闇だと言っているのです。この列島の人々にとっては、鮮卑族の支配下にある方が闇なのですが、鮮卑族の彼らにとってはそういうことになるわけです。
 ですから、今も我が国においては、東胡・鮮卑族による支配下にあるため、本来この列島の人々にとって最も感謝され尊い神であるスサノオ尊は、天照の乱暴者の弟にされ、その支配下に置かれたことにされています。つまり、我が国の人々にとっては、スサノオ尊こそが最も尊崇された神だったのです。ですから、逆にこの列島を支配下にしている東胡・鮮卑族にとっては、にっくきスサノオということになるのです。
 天の岩戸伝説なるものは、唐王朝・東胡・鮮卑族の立場で、この列島の秘められた歴史をアレンジして残されていたものでした。


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