今昔なぜなぜ?      Q & A

<戦争>

「日清・日露戦争にはどういう意味があったんですか?」


 日清・日露戦争について考える場合、我が国が明治維新以降大陸へ侵略していった動機を解明しなければ、その意味は見えてきません。
 明治維新以後、我が国の支配勢力は、富国強兵あるいは様々な経済的理由を口実に、我が国の人々を大陸侵略へと誘導していきました。そして、日清・日露戦争を経て、その後、関東軍は柳条湖事件・蘆溝橋事件といった謀略を仕掛け、大陸制覇へ邁進していきました。これらの大陸侵略によって、2000万人とも言われる人々が殺害され、筆舌しがたいような被害を大陸の人々に与えてしまいました。また、我が国の600万人とも言われる人々がその犠牲にもなりました。この一連の大陸へ向けて侵略していった、その動機は何だったのか。それは、我が国の支配勢力の本性が解明できなければ理解し得ません。
 それは、我が国が、西暦663年秋、唐王朝の占領・植民地下に置かれたことに行き着きます。その後も、この列島は唐王朝の支配下に置かれ続けるのですが、907年、その唐王朝も朱全忠らによって滅ぼされ、大陸を追放されて命からがらこの列島に流れ着きました。言ってみれば「本店」を追われて「支店」に逃げ込んだといったところでしょうか。その後、再び大陸をその支配下に置くことが、彼らの存在意義、最大の目標となったのです。秀吉の時代に朝鮮半島へ出兵した動機も同様です。我が国の中枢を支配している勢力は、唐王朝の残党であり、民族的には鮮卑族でそのルーツは東胡になります。東胡は満州のあたりに存在していたので、そこは、彼らにとっては先祖の地となります。ですから関東軍は満州を制圧し、そこに満州国を建国しました。そのような時代錯誤も甚だしい思惑は、世界の民主主義勢力によって敗北に追い込まれました。
 しかし、彼らは、決して諦めてなどいません。再び、大陸侵略へ向けて今も着々とその準備を進めています。だからこそ、仕掛けられた戦争だったなどと侵略戦争だと認めることも、反省することも拒むのです。そして、日本に自衛隊や米軍基地があるのも、執拗に憲法を変えようとするのも、君が代を強制しようとするのも、その動機は、すべて大陸侵略に照準が当てられています。「唐王朝再興」、これこそが、我が国の支配勢力が秘めている大陸侵略へ向けての動機です。
 日清・日露戦争とは、我が国に潜む唐王朝の残党による大陸における支配の再構築という思惑を実現するための通過点に過ぎなかったのです。
 また、その意味も動機も、我が国のほとんどの人々には分からないようにされてしまっているので、騙されていることすら気づいていないというのが今の我が国の実態です。

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