今昔なぜなぜ?      Q & A

<日本>

「なぜ日本という名称がつけられたのですか?」
 
 どうして我が国の国名が「日本」なのかといったことは、我が国の成り立ちの歴史を紐解かなければ理解できません。しかし、そういった歴史は、今の我が国においては消されているので、大陸に残されている歴史と突き合わせること以外に見出す方法はありません。
 隋書における記載では、分裂していた中国が隋によって統一され、この列島から初対面の挨拶といった使者が送られます。その使者が、この列島の国家形態を「天をもって兄となし、日をもって弟となす」と紹介しています。つまり、「天」が国家的象徴で、「日」が実質的支配者という意味です。その「日」の地があったのが、今の東出雲です。スサノオ尊が祀られる熊野大社の地は、その一番の聖地・大元にあたるということで「日本(ひのもと)」と呼ばれていました。熊野大社には、今にも「日本火之出初之社(ひのもとひのでぞめのやしろ)」という別名が残されています。その近くには、日野とか日南といった地名が今も残っています。
 また、この列島は、大陸の王朝から、「倭国」などと呼ばれ属国扱いされていました。それに対して、出雲王朝は、「日出る国の天子、日没する国の天子に・・・」という国書を送ったのですが、それは、属国扱いするなという意味が込められたものです。隋の煬帝に対し、貴方が天子なら私も天子だと毅然とした態度を貫いています。隋はすぐに唐に替わりますが、同様に、「倭国」と呼び、属国扱いします。そこで、出雲王朝は、645年、国名をスサノオ尊に由来する最も由緒ある「日本(ひのもと)」と改めました。その数年後に、その国名を替えたことを唐王朝に伝えています。「大」国を『日本』という国名に「化」えるという大きな改革をした年だという意味で「大化」という年号が付けられました。


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