今昔なぜなぜ?      Q & A

<神社>

「どうして数多くの神社が残されているんですか?」

 現在、神社は、全国におよそ10万社あり、その内、約8割が出雲系だと言われています。また、明治政府が、各集落ごとに1社と限定したため、ひとつの神社に多くの神々が祀られることになりました。ですから、元々は、100万社前後の神社があったのかもしれません。
 では、どうして、そんなにも多くの神社が造られることになったのでしょう。それは、はるか遠い時代に、尊敬と崇拝の対象となる人々が存在したことを伝え残しています。
 また、どうして、神社の約8割でスサノオ尊を始めとする出雲の神々が祀られているのでしょう。それを理解するためには、彼らが、この列島でどういう役割を果たしたのかを解明しなければなりません。ところが、この列島に残されている歴史からは、それを解明することはできません。唯一、大陸に残されている歴史と突き合わせることによってのみ理解することができます。
 紀元2世紀頃、この列島は、大陸から戦いに敗れて逃れてきていた「東胡」という民族により支配され、その隷属下に置かれていました。そして、列島各地の人々は、毎年、奴隷の供出を強制されてもいました。それが、古事記に出てくる、あしなづち・てなづちの娘が「やまたのおろち」にさらわれていくというお話の背景です。「やまたのおろち」の「やまた」とは、「八岐」、つまり、本州・九州・対馬・壱岐・隠岐・四国・淡路島・佐渡島という8つの拠点を意味します。おろちは、大蛇です。当時のこの列島全域を支配していた勢力の残忍な支配をそこに表現しています。それは、当時の王が、西暦107年、その奴隷を後漢の安帝に160名も献上したと、後漢書にも記されています。
 それに対し、2世紀後半、スサノオ尊などを先頭に、残忍な東胡の支配を打ち破るための戦いに挑みます。その「やまたのおろち」との戦いが、大陸の史書には「倭国大乱」として残されています。そして、「倭国大乱」を制し、この列島の人々を東胡の支配から解放したスサノオ尊をはじめとする出雲の勢力は、大きな感謝の思いを込めて神として称えられました。
 さらに、出雲の勢力は、製鉄の民族でもありました。彼らは、この列島の人々に、農耕や各種産業、あるいは生活に関わる鉄の道具をも、もたらしました。ですから、スサノオ尊や出雲の勢力は、この列島の人々から神として崇められ、全国津々浦々の神社で祀られました。そして、五穀豊穣を願い、またその感謝の思いを込めて毎年祭祀が執り行われています。
 数多くの神社が造られた歴史的背景には、この列島の人々を東胡の圧政から救ってくれたことや、鉄をもたらしてくれたことなどに対する、出雲の勢力への大きな感謝の思いがありました。


      

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