<原発>
「地震列島の我が国にどうして原発が導入されたのですか?」
原発は、元々は潜水艦の原動力として開発されたのですが、当時の冷戦下で、核廃棄物の処理能力がまだできてもいないのに、その戦力機能が優先されて見切り発車で配備されてしまいました。そして、それを陸にも上げました。
アメリカの支配下で、原発を我が国に導入するために設置された原子力委員会の初代委員長の正力松太郎という人物は、A級戦犯で拘置所に入っていたのですが、アメリカのCIAのエージェントとなることで釈放されています。
1954年に当時の改進党の中曽根康弘らが推進し、原子力予算が2億3500万円計上されました。それは、ウラン235にちなんでその額になったとされています。
そして、1955年に原子力基本法が成立し、翌56年に原子力委員会が発足しています。また、57年に発足した科学技術庁長官には正力松太郎が就任し、原発導入を推進しています。
アメリカは、我が国における原発導入には、日本の核アレルギーの除去を大きな狙いとしていて、広島にも建設を考えていたようです。
また、原発における燃料となるウランの8割はアメリカから輸入しています。つまり、アメリカの原子炉やウランを日本に売りつけるという思惑があったとも言われています。
我が国における原発導入には、アメリカの思惑が大きく影響しています。そして、我が国の支配勢力が、そのアメリカの思惑に、全面的に従ったことが、この地震列島に危険な原発が導入された一番の要因となっています。
それによって、我が国の人々は、今も放射能汚染の下に置かれています。今も、地球上のあらゆる生物は、福島原発事故によって振りまかれた、また、振りまかれ続けている放射線物質によって汚染され続けています。それは、今後も果てしなく続くことになります。
その原発事故は、福島で終わると限ってなどいません。次、またどんな事故が起きるかはわかりません。原発が存在する限り、常に、その脅威の下にさらされ続けます。
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