<武士>
「なぜ武士という名称がつけられたのですか?」
武士について検証しようとしますと、我が国の支配勢力が何者なのかが解明されなければ理解し得ません。
そして、それは、西暦663年11月18日(旧暦10月10日)、唐王朝によって、この列島の都があった「出雲(当時はヤマトと呼ばれていました)」の地が占領・征服されていたところに行き着きます。もちろん、この列島全域もその支配下に置かれました。その詳細は、資治通鑑に残されています。唐王朝第3代皇帝李治の皇后武則天の時にこの列島が征服されているので、今もこの列島には武則天の影響が色濃く残されています。天皇制もそのひとつです。武則天は、道教の理念から皇帝を天皇という呼称に替えました。しかし、武則天の失脚後は再び皇帝に戻されています。ですから、中国皇帝制度の中で、天皇を名乗ったのは、武則天の夫李治のみです。
つまり、この列島に天皇制が誕生したのは、唐王朝の支配がこの列島で確立した大宝律令制定以後です。
同時に、その武則天の勢力によってこの列島が制圧されたので、その後も、この列島は、武氏、つまり武士によって制圧され続けることになりました。そのことは、万葉集にも残されています。
武士という名称のルーツは、武氏、そして武則天にありました。
ちなみに、父の名は「武士彠」で、3人の兄は、「武士稜・武士譲・武士逸」です。
|