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由美と行く 
万葉紀行

22、

 恒之と由美が出雲大社を出たのは、昼を少し過ぎた頃だった。
 「まだ時間がありそうだから、もう一か所寄ろうか」
 「何処に?」
 「来る時にも表示が出ていただろう。『荒神谷遺跡』だよ」
 「あの銅剣がたくさん出てきた遺跡?」
 「そう。過去、全国の遺跡から発掘された合計を、さらに上回る数の銅剣が出土したものだから、大変なニュースになったよ」
 「驚きだよね」
 「それまでは、出雲に王朝があったということに疑問視する声もあったが、これで一気に注目を浴びることになったわけだよ」
 「出雲は、出雲大社だけではないよと、全国発信されたのね」
 「そうだね。今まで出雲の歴史を考える時に、どうしても古事記や日本書紀、出雲風土記を通して考えていたんだよ。ところが、それは、藤原平安朝の残した歴史を振り返ることにしかならないわけだよ。つまり、征服者の側での歴史だ。だから、神社に残されている伝承や遺跡調査も含めて、もう少し大きな視野で出雲を考える、この遺跡の発見はその出発点になったような気がするよ」
 「なるほどね」
 「出雲と云ったら神話の世界としか考えていないようなところがあったんだ。特に、自分達みたいに、歴史にあまり関わりの無かった者にしたらね。だから、出雲に関わる文献を読もうとすると、まず出雲神話から入るだろう。そうすると、古事記の世界に入り込んでしまい、結果的にそういう視点で出雲を考えることになってしまうんだよ」
 「なんと言っても、強烈なイメージを与えるからね」
 「ものすごい煙幕か猫騙しに合ったような状態に陥ってしまうんだよな。そこから、もう一歩、出雲の実像に踏み込むことができなくなってしまう。まあ自分的にはそういうことだったかな」
 「神話に親しんでしまうものね」
 そう言っているうちに、山の中に入ってきた。
 「妻木晩田遺跡のあたりに良く似た風景よね」
 「まあ、山の方は、こんなものだよ」
 「あっ、そこが入り口よ」
 確かに、良く似た雰囲気だった。
 車を駐車場に止めたが、荒神谷博物館の周辺に人影は無かった。
 「静かね」
 「この時期に、遺跡を見に来る人はいないのだろう」
 2人が、博物館の入口に行くと、展示物の入れ替えのため休館とあった。
 「なんだ、休館中だからこんなにも静かなんだよ」
 恒之が、横の入口の方からガラス越しに中を見ていると、女性職員がやってきて開けてくれた。
 「すみませんねえ、折角おいでいただいたのに。中の展示室には入れませんが、このロビーは、ご覧いただいても結構ですのでどうぞ」
 2人は、勧められるまま中に入った。
 その女性職員は、荒神谷遺跡についていろいろ説明をしてくれた。
 「銅剣が発掘された場所は、どちらになりますか」
 「そちらの山沿いに行かれると、発掘の時の状況が分かるように再現してあります」
 「そうですか、では行ってみます。どうもありがとうございました」
 恒之が、その博物館を出ようとしたら、銅剣と思われる剣が2本展示されているのが見えた。
 しかし、銅の色でもなく、薄い金色をしていた。
 銅と少量の錫や鉛の合金とあった。
 「銅剣は、こういう色をしていたのか」
 「とっても綺麗ね」
 祭祀に使われるのも分かるような気がした。
 「やはり武器というより、儀式で使われたんだろうなあ」
 2人は、博物館を出ると、銅剣の発掘現場へ向かった。 
 山沿いに小道があり、側には池が何段にも連なっていた。
 「何の池だろう。水田に水を溜めた程度の浅い池だから蓮池かな」
 「『2千年ハス』だって。約5千株、5万本の花が咲くそうよ。この池一帯がハスの花で一杯になるみたい」
 由美が、先ほどもらったパンフレットを見ている。
 「『2千年ハス』って、どこかの遺跡で発見された種子を発芽させて、それが広められたと聞いたことがあったけど、ここにも植えられていたんだ」
 「それも、5万本も咲いたら見事でしょうね」
 「そうだよなあ。その頃にまた来てみたいよ」
 2人は、尾根と尾根との間の谷に咲く、ハスの花を思い浮かべながら一番奥まで来た。
 その狭くなった斜面の左側面に、荒神谷遺跡があった。
 「こんな奥に埋められていたのね」
 「しかし、よく見つかったものだよ」
 その遺跡の入口に、発掘当時の様子が表示されていた。
 1984年7月、このあたりに新しく広域農道の建設が計画され、遺跡があるかどうかを調査したところ、銅剣が358本発見されたとあった。
 さらに、翌年7月、まだあるかもしれないと調べたところ、銅剣の東7メートルほどの地点から銅鐸6個と銅矛16本が見つかっている。
 2人は、その表示を読み終えると、その奥に再現された発掘現場へと入った。
 高さが7〜8メートルほどある斜面のちょうど中腹に、それぞれレプリカが置いてあり、発掘された時の様子が分かるようになっていた。
 「思ったより小さいのね」
 「358本というから多く感じられるけど、綺麗に重ねて置けば1メートル4方ぐらいなんだなあ」
 「だから余計に、この広い斜面、もっと言えばこの広い山の中から、見つかったのが不思議よね」
 「この周辺は神庭という地名だから、遺跡があるかもしれないと予測して調べたにしても、よく見つかったものだよ」
 「そうね。でも、こんなにたくさんの銅剣が、どうしてここに埋められたのかしら」
 「どうしてなんだろう。さらに驚くのは、銅剣や銅矛は、北九州から瀬戸内や四国にかけて出土しているんだが、銅鐸は、中国地方から近畿・中部地方にかけて出土しているんだよ」
 「さっきの表示板にも書かれていたわね」
 「その銅剣や銅矛と銅鐸が一緒に見つかったのは、全国でここだけだそうだ。だから、余計に話題になったんだよ」
 「本当に、出雲は不思議なことばかりね」
 順路に沿って斜面を登り、途中、恒之は何枚か写真を撮った。
 そして、ぐるっと尾根を通り、また下に降りてきた。
 「どうだい、見た感想は」
 「古墳から発掘されたというなら、その埋葬者に奉げるということだと分かるけど、どうも古墳ではないようだし、やはりどうしてここに埋められたかが一番疑問よね」
 「奉納するなら、神社とかだよ。熊野大社とかいくらでも神社はあるよ。この前読んだ風土記では、出雲国に399の神社があると書いてあったよ」
 「そんなに神社があったの」
 「そうみたいだよ。それと、もう1つ疑問に思ったのは、この同じ斜面に埋められているんだけど、その2か所が微妙に離れているんだよな。疑問に思い過ぎかなあ」
 「なるほど。ちょっと疑問よね」
 「銅剣、銅矛、銅鐸は、それぞれ同じようなサイズが揃っているんだよ」
 「そうみたいね」
 「ということは、同じグループだが、その中にも格差があったと考えられないだろうか」
 「格差が?」
 「つまり、少し格の高い人たちは、大きな銅矛と銅鐸を斜面の奥のほうに埋めた。そして、普通の人たちは、少し離れて銅剣を埋めた」
 「でも、何か埋葬みたいね」
 「そうだよなあ。祭祀に使われた銅矛、銅鐸、銅剣がまるで死んだかのように埋められている。先ほどの掲示に、銅剣の344本には、×印も入れられているとあっただろう」
 「祭祀の象徴が埋められるということは、その祭祀の終焉をも意味するのかしら」
 「これらは、通常何処に保管されているんだろう?」
 「祭祀ということは、神社かしら」
 「おそらくそうだろう。では、さっき出雲国の神社の数はいくつあったと言った?」
 「確か、399」
 「ここで発見された数を合わせると?」
 「銅剣358本、銅矛16本、銅鐸6個だから、ええっ、380。ほぼ、近い数よ」
 「祭祀の象徴として保管されていたと思われる神社の数とほぼ同じだよ。はたして、これが、何か意味を持っているのだろうか。ただの偶然だろうか」
 「偶然でないとしたら?」
 「先ほど行った出雲大社で見たように、大国の主である大王は殺され、出雲王朝が滅ぼされた。そして、その大王に忠誠を誓っていた神社は、象徴たる銅剣、銅矛、銅鐸をここに埋めた。さらに、身の危険を感じた者は、科野や東日流へ逃れた。こういうストーリーが考えられるけど、どうだろう」
 「1つの仮説では、ありそうね」
 「権威の象徴たる剣は、征服者の戦利品にされるから、自ら埋めたのではなかろうか」
 「考えられないことではないけど、実際はどうだったんだろうね」
 「今のところ考えられるのは、この程度かな。もう少し、出雲の実像が分からないと何とも言えないよ」
 「明らかにされてきているように思えて、実際のところは、まだまだ謎に包まれているわね」
 「そうだよなあ」
 恒之は、周辺の写真を撮り終わり、駐車場に戻った。
 「さあ、お茶にしよう」
 「出雲大社でも結構歩いたから、ちょっと疲れてきたわね」
 ちょうど良い休憩タイムだった。
 恒之は、家から持ってきたお茶や果物、お菓子を出した。
 「やっぱり、こういう時は、このお茶が一番だ」
 「美味しそうに飲むのね」
 「そりゃ、最高の飲み物だよ。由美も飲むかい」
 「では、少しだけね」
 「あっ、雨だ」
 恒之が、由美にお茶を入れていると、車の窓ガラスに雨が落ちてきた。
 「ぎりぎりだったね」
 「取材が終わった途端に雨だよ」
 夕方からは、降るかもしれないと思っていたが、予想通り降ってきた。
 「どうだ、美味しいだろう」
 「飲めないことはないけど、やっぱり、帰りにどこかでお茶しようよ」
 「そうか。まあ、そうするか」
 恒之は、片付けると車を発進させた。
 途中、道の駅でゆっくりし、家に着いたらちょうど夕食の用意ができた頃だった。



                      

   


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