我が国の歴史に仕掛けられた          
                  トリック10


    出雲王朝を消せ!


 

 648年、出雲王朝は、唐王朝に対して、大陸の王朝からの蔑称である『倭国』などともう呼ばないでくれ、『日本(ひのもと)国』という国名にしたから、そう呼ぶようにという使者を送りました。648年に『日本国』と改めたという報告に行ったということは、その直近に国名を変えるほどの大改革があったということを意味しています。
 この列島で、648年の直近に行われた改革と言えば、『大化の改新』がそれに相当します。
 つまり、『大化』とは、出雲王朝であるところの『大国』を変化させたという意味の年号のようです。
 隋書に登場するこの列島の『倭王』は、608年、隋からやってきた使者に対して、『大国維新の化』を問いかけています。その頃から大国をどう変えるかということが検討課題になっていたのかもしれません。
 しかし、617年、隋は滅んでしまいます。そして、618年に誕生した唐も、王朝の担い手が代わっただけで、隋と同様の貴族社会にあり、この列島を属国扱いします。
 631年に出雲王朝は、様子見といった朝貢の使者を送りました。それに対し、第2代皇帝太宗は、遠いところからの朝貢は不要だという使者をこの列島に送ってきます。しかし、その使者は『朝命を下す』といった立場で来るのですから、先に隋から属国扱いされることに反発していた出雲王朝は、『そのような朝命を受けるいわれはない』と、唐王朝の使者を追い返します。
 そして、出雲王朝『大国』は、十数年後に大改革を行い、その年、年号も『大化』としています。その改革の一番の中心だったのが、この列島の国名を、『日本国』とすることでした。隋や唐に『倭国』などと蔑まれ、また、属国的扱いをされることに対し、出雲王朝は、決して屈従することなく毅然とした姿勢を貫きました。
 ところが、663年秋、唐王朝は、この列島を征服し、出雲王朝を滅ぼしてしまいました。彼らは、その後も、藤原氏として占領支配を続け、この列島の歴史をも自らに都合よく変えてしまいました。大陸の王朝に屈することなく毅然と戦った出雲王朝の支配を、歴史から消し去り、そして唐王朝・藤原氏らの勢力が『太古の時代から支配していた』という虚構の歴史をでっち上げました。
 つまり、歴史の改竄です。その彼らの末裔が今もこの列島を支配し続けているので、未だにこの列島の歴史は、改竄されたままで、本当の歴史は闇の中に閉ざされたままです。この列島では、国家的歴史改竄が堂々とまかり通っているという、人類史上まれに見る『洗脳教育』が行われています。
 しかし、1300年にわたって改竄された歴史で洗脳教育されていますと、洗脳されているという認識も、改竄された歴史だという認識もこの列島の人々の中からは消えてしまいました。洗脳されているという認識がないから、何の疑問もなく千数百年も前に改竄された歴史がこの列島の歴史として通用しているのです。
 この列島で初めて、自らの国名を宣言するという『独立宣言』とでもいうべき『日本国』誕生を含む崇高な変革であった『大化の改新』は、今、わが国にあっては、醜い政治的クーデターのごとくに貶められています。
 その当時には、まだ天皇制はこの列島に存在すらしていません。蘇我氏が滅ぼしたとされる聖徳太子一族も本当に存在していたかどうかも極めて疑問です。法隆寺に残されていたとされる、お札に使われた聖徳太子の絵も、決して聖徳太子の絵として残されていたのではありません。
 その蘇我氏自体も同様に架空の勢力だったのかもしれません。蘇我氏は、甘樫の丘に邸宅を構え、そこには武器庫もあり、さしずめ要塞のようだったと言われています。しかし、その甘樫の丘の上には、そのような建築物を建てるようなスペースはありません。山の尾根の狭い所ですから、仮にも天皇家を凌ぐといったような勢力の大きな拠点など築けるはずもありません。もしも何らかの建築物をその場所に建てようとすれば、しっかりとした基礎が必要になりますが、そこにはそのような痕跡は一切ありません。
 架空の聖徳太子一族を同じく架空の蘇我氏が滅ぼし、その蘇我氏を中大兄皇子等が滅ぼしたといった創作をしたとしても、もともとそれらの勢力が存在していなければ何も問題は生じません。そこに、残るのは、悪者を退治したという権威だけです。
 しかし、それが架空だったことが明らかになると、捏造した歴史が根底から崩れ去ってしまいます。ですから、それらがあたかも存在していたかのように意識させるため、聖徳太子をお札にしたり、奈良地方で何かの遺跡が発掘されると、ことさら蘇我氏に関連した施設とされているようです。
 一度嘘をつくと、今を以ってその嘘に上塗りを続けなければなりません。彼らは、1300年にわたってその捏造した歴史が、捏造だとばれないために、必死に辻褄合わせをしているのです。
     





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