我が国の歴史に仕掛けられた          
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    出雲王朝を消せ!
 魏志倭人伝には、女王国の国名が、『邪馬壹国』と記されています。
 この『壹』という文字は、数字の『一』を意味した文字です。たとえば、『一』という文字は、『二』とか『三』とか、『十』とかに書き換えることも可能です。ですから、そういった改竄ができないように、領収書などで、『壹』や『壱』という文字が使われています。つまり、女王国の国名は、『一国』だったということになります。
 しかし、現在のわが国においては、この卑弥呼のいた女王国の国名は『邪馬台国』だとされています。また、ほとんど、それに疑問を持つ人などいません。しかし、魏志倭人伝に記されている女王国の国名は、『邪馬壹国』なのです。
 だから、その三国志を記した西晋の陳寿が間違って『壹』と書いたとされています。本来、『臺』と書くべきところを『壹』と書いてしまったのだろうということになっています。『壹』と『臺』という文字が、少々似ているということで、陳寿は書き間違えたと言われています。
 では、文部科学省の歴史研究者には、『太平洋』と書くべきところを、『犬平洋』と書き間違える人がおいでになるということなのでしょうか。もし、わが国の歴史を書き残す重要な資料にそのような間違いをおこす研究者がおられるようであれば、そのような研究者は、もう一度小学校からやり直していただかなければなりません。もし、『そんな間違いを起こす研究者などいるはずがない』と当然のごとく言われるのであれば、陳寿とてそんな間違いをするはずなどあり得ません。
 『壹』とは、数字の『一』を意味する文字です。『臺』とは、皇帝の居する都を意味する文字です。今で言えば皇居とか、東京都を意味しています。
 まったく意味の異なる文字を、当時の国を代表する歴史家が、間違えて書いたと『見なして』いるのです。
 ここには、人というものは、騙されやすいものだということが如実に現れています。自らの信念で以って、確かめなければ、そういうことなのかなと流されてしまうということです。現在、わが国で言われている陳寿が書き間違えたというのは、歴史的冤罪です。
 『死人に口無し』
 陳寿には一切弁明の余地なく、『書き間違えた』という汚名が着せられています。歴史の真実は、『唐王朝による歴史改竄』です。この列島の歴史を解明しようとお考えの皆様は、早くそのことにお気づきいただきたいと切に願うものであります。
 一方、唐王朝の歴史改竄を引き継いでいる勢力も、この列島を支配している勢力の中に厳然と存在しているのです。そして、今を以って、極めて巧妙に、且つ、徹底してその改竄したことをも隠し続けているのです。
 これをお読みの方が、わが国の文部科学省の歴史研究者が、米国や中国に届けるわが国を紹介する国家的威信のかかった資料の中で『太平洋』を『犬平洋』などと書き間違えることなどあり得ないと、もし思われるのであれば、陳寿も同様に、そんな書き間違いなどしません。
 しかし、『そうは言っても、もしかしたら間違えたのかもしれない』と、まだ疑問に思っている方も中にはおいでになるかもしれません。
 残念ながら、やはり、陳寿は間違えてなどいないということを、唐王朝の武将が、自らの口からそれを証明しているのです。
 『資治通鑑』という史書で、唐王朝の武将劉仁軌が、この列島を征服した翌年、664年の10月、当時の皇帝にこの列島を占領している兵士の置かれている状況を報告しています。その中で、この列島にいた出雲王朝は滅ぼしたものの、兵が帰国してしまったら、元の『一国』に戻ってしまうということを述べています。当時、唐王朝は、高句麗制圧を大きな目標としていました。そのためには、この列島は、戦略的に重要な位置にあり、引き続き占領支配しなければならないとも述べています。
 この列島にあった、卑弥呼の国『一国』、スサノオ尊、出雲王朝の『大国』、この両国により、統一国家が誕生しており、その国家的象徴が『天』でした。『天』という文字は、『一』と『大』という文字で構成されています。卑弥呼の勢力と、スサノオ尊の勢力の統一で、この列島が支配されているという概念がそこに表されています。
 つまり、唐王朝の武将劉仁軌は、それを認識していたということなのです。この列島の実質的支配者の『大国』の勢力は一掃したが、放っておけば、一方の『一国』に戻ってしまうということを言っているのです。
 その言葉通り、この列島は唐王朝の制度でことごとく徹底され、701年、この列島に唐王朝の傀儡国家が誕生しています。
 そして、今に至るまで、その基本的支配関係は当時と変わりません。変わったのは、この列島の人々の認識から唐王朝に征服されたということが消えてしまったことです。
 卑弥呼のいた女王国の国名は、『一国』だったということを、その改竄の当事者である唐王朝の武将自らが証明してくれていました。陳寿の冤罪を、早く晴らしてあげなければなりません。また、過去、写本を作成された方々とて同様です。
 それは、同時に、唐王朝が歴史を改竄していたことを証明することでもあります。  
  




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