古代史で今を解く

 (1) 2012年8月14日 『政権交代』とは何だったのか?

 09年の夏の総選挙で、戦後わが国の政治を支配してきた自民党が、歴史的敗北を喫し、野党という地位に降りました。
 『自公政権よ、いいかげんにしろ!』
 その国民の怒りが、『政権交代』という大きな激動と言ってもいい程の変化につながりました。
 では、それから3年を経て、その『政権交代』は、いったい国民に何をもたらしたのでしょうか。
 民主党は、『国民を苦しめている古い仕組みを終わらせ』ようと、自公政治を変えることを前面に打ち出し、国民の大きな支持を得て政権につきました。ところが、政権についたものの、選挙の公約に掲げた数々の政策はことごとく投げ捨て、選挙の公約になかった消費税の増税を多くの国民の反対を押し切って法案を通しました。また、その強行は、自公の協力なしにはできませんでした。
 4年間は消費税は増税しないと選挙で言っておきながら、また、自公政治を変えると言って政権についておきながら、今や、民自公3党は、対立しているかのようなポーズをとりますが実質的には連立状態にあります。ですから、今、多くの国民の中で、民主党の裏切り行為に大きな怒りが巻き起こっています。自公政治を変えると言って政権につくやいなや、自公政治の推進者となってしまったのですから、嘘つきと言われても文句は言えません。野党時代は、国民の側に立っているような顔をして自公政権に対抗していたのに、政権につくと自公政治の立場に立って国民に対抗するのですから、国民に対する極めて卑劣な裏切り行為です。
 実は、わが国の歴史にあっては、そういった『政権交代』を繰り返しながら今日に至っているのです。
 では、歴史との関わりで、今回の政権交代とは、いったい何だったのかを考えてみましょう。
 このサイトで公開してもいますが、663年に、この列島は唐王朝に占領・征服され、当時の出雲王朝は歴史からも抹殺されてしまいました。それ以後、唐王朝の勢力は藤原氏を構成し、この列島の中枢に位置して、この列島の人々を隷属下に置いてきました。彼らの手下として、この列島の人々を制圧する役割を果たしていたのが、武士でした。
 その唐王朝第3代皇帝李治の皇后「武則天」の時代に、この列島が征服されています。つまり、李氏が唐王朝の宗家であり、武氏は外戚で、補完勢力に過ぎません。この列島においてもその基本体制は変わりませんでした。唐王朝・藤原氏の手下が武氏、つまり武士ということなのです。
 その唐王朝・藤原氏の象徴・シンボルが、武則天が命名した天皇です。ですから、武士である平家は、この列島の人々を『平定』し、藤原氏・天皇を守ることがその基本的使命でした。 
 その平家から源氏に移行したのも、『政権交代』と言えます。その後、北条氏や徳川家などにその政権が移りますが、『唐王朝・藤原氏・天皇を補完する武士』という関係になんら変わりはありませんでした。
 また、徳川幕府から明治政府に移行し、それが『明治維新』と言われていますが、これもその『政権交代』でしかありません。明治政府も、天皇を中心としており、その中心となる政党も、天皇を守護することを基本にしています。そして、何よりも明治政府は、伊藤博文を先頭に、唐王朝再興のために大陸侵略へ邁進していきます。明治維新の本質は、大陸侵略にありました。
 その基本体制は、戦後も同じです。今も、わが国の支配勢力は、大陸侵略に向けて突き進んでいます。
 このように、663年以降、わが国の基本的支配体制に何ら変動はありません。
 唐王朝・藤原氏・天皇を中心とし、それを守護する勢力が『政権交代』を繰り返しながら今に至っているのです。
 すなわち、国民の不満や批判をかわし、『明治維新』のごとく、さも新しい時代になったかのように国民を騙し、その支配体制を維持してきているのです。
 これは、唐王朝の時代から続く彼らの手法なのです。
 隋の煬帝が、高句麗遠征のために、江南と結ぶ運河に庶民を動員して大きな不満の声が渦巻きます。その高句麗遠征に3度も試み、失敗します。それにより、首都大興城は大混乱に陥ります。その時、李淵は、煬帝を太上皇帝に奉り上げ、傀儡の皇帝を立て、煬帝が殺害されると、その傀儡の皇帝から禅譲を受けて皇帝に即位しました。ここに唐王朝が、建国されました。とは、言うものの、隋も唐も鮮卑族で、その貴族政治に変わりはありません。
 すなわち、『政権交代』だったのです。単なる政権の担い手が代わったというだけで、その基本的な性格に何ら変わりはありませんでした。
 その鮮卑族による隋・唐王朝でしたが、907年に唐王朝が滅ぼされた時には、その鮮卑族である貴族は、大陸から追放されてしまいました。それを逃れてこの列島にやってきているので、東大寺正倉院には、彼らの収集した『宝物』が今に至るまで保管されています。その正倉院の近くにある聖語蔵には、隋・唐代の経巻が、5千巻も残されています。
 しかし、彼らは、決してこの列島にいつまでも居着いているつもりなど毛頭ありません。いつしか、必ず大陸に戻り、唐王朝再興を目指すことにしました。それが、『明治維新』以降の、大陸侵略の本質でした。
 しかし、そんな時代錯誤もはなはだしい侵略行為が、世界の民主主義勢力によって破綻させられたのは当然でした。ところが、彼らは、自らの本性も思惑も国民に『ばれていない』のをいいことに、今再び、大陸に向けて侵略しようと、準備工作を着々と進めています。
 つまり、過去、千年以上も前から彼らの伝統的手法である延命策が『政権交代』でした。その支配下にある庶民には何か『新』しい時代がやって来たかのように思わせて、支配体制を『維』持するのです。それが『維新』の本質です。自公政権は危機に陥り崩壊しましたが、唐王朝・藤原氏・天皇を中心とし、この列島の人々がその支配下に置かれる体制の延命策『政権交代』で、その体制を維持しようとしているのです。
 つまり民主党政権は、国民の大きな批判をかわす為の、所詮は『ガス抜き』でしかありませんでした。支配勢力にとっては、窮地をしのぐためのリリーフピッチャーに過ぎません。基本的には、前政権が出来なかったことややり残したことを、引き継ぐわけですから、国民にとっては良くなるどころか、さらに悪化するということになります。
 しかし、今のところ、唐王朝の残党勢力による支配体制に変化が生じることは無いでしょう。なぜなら、唐王朝が崩壊した時のように、今のわが国の支配体制に対する批判まで、ほとんどの国民は考えてもいません。武士に対する批判はあっても、その支配体制への批判までいかなかったように、本当に支配している勢力やその体制にまで批判が行くことはないでしょう。
 それは、わが国の一番の中枢を支配している勢力の本質が、煙幕で隠されているからです。その煙幕こそが、記紀認識です。この列島が唐王朝に征服され、それ以来この列島は唐王朝・藤原氏、つまり鮮卑族に支配されてきていることを、隠し続けられる限り、彼らの支配は安泰でしょう。
 それは、逆に、いつまでもこの列島の人々は、偽りの歴史認識で騙され続け、彼らの隷属下に置かれ続けることを意味しています。
 一人でも多くの方々が、一日でも早く、この列島の真実の歴史に気づいて欲しいと願うばかりです。
 




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