卑弥呼の墓を訊ねて 2

宮崎は遠し 1000キロの旅

 山陰に住まいする者にとって九州宮崎までの旅は大変です。およそ、1000キロはあろうかという道のりです。実は、妻の実家が山口県にあるので、その里帰りに宮崎まで足を延ばそうということだったのです。
 06年8月の20日過ぎの朝、9時頃に出発しました。長距離を走るので、あらかじめ、いつもの修理工場で出かける前のチェックをした方が良いのではといったことも頭をよぎったのですが、日頃あまり乗っていない車なので大丈夫だろうと安易に考えて出かけてしまったために、後でとんでもないことになるのでした。
 やはり、長距離走行の場合は事前の点検が大事です。以前乗っていた古い車は、長距離を走る前に点検に出していたのですが、今の車になって安心していました。それでも、もう10年が近いので、車は確実に痛んできていたのです。
 そんなこととは知らず、家族を乗せてとりあえずは山口県の実家に向けて走り出しました。3時頃、妻の実家に着き、少し休息して4時頃に妻や子どもを残し、単身宮崎へ向かったのです。よく注意していればその時にも分かったはずなのですが、まだ全く異常には気づいていませんでした。山陰から山口県まででも結構大変なのに、そこからさらに同じくらい走ろうというのですから、山口県までを日帰りするようなものです。しかし、卑弥呼の墓を見るんだという思いの方が強く、大変を通り越して気合の方が勝っていました。
 そして、九州自動車道に入り、ほんの一瞬ですが志賀島が斜め前に見えました。その一昨年前に、博多周辺をまわっていますので、そのことが思い出されました。『古代史探索紀行(物語編)』の『由美と行く万葉紀行』をお読みいただいた方はお分かりかと思いますが、志賀島、大宰府、吉野ヶ里などを訪ねた旅でした。
 大分を走る頃にはもう暗くなってきたでしょうか、さらに霧島のあたりから東に向き、宮崎に入ると、次は北に向けて走ります。ですから鹿児島へ行くのと距離はそう変わりません。自動車道を降りる手前の宮崎パーキングエリアに着いたのは夜10時頃でした。その日は12時間も走ったのです。
 とりあえず、無事、宮崎に着くことはできました。運転手も大変ですが、それ以上に車には負担がかかっていたようです。とにかく、その日はパーキングエリアで車中泊です。心配しているだろう妻の実家にも連絡を入れて、誰もいない駐車場で静かに眠りに着きました。
 『今日は一日よく走った。とうとう宮崎までやって来たぞ』と、一人で感激しながら、充実感に浸っていました。
 その夜までは最高の悦びの中にあったのです。
 その時までは・・・。
 

大ピンチ! ここに来てトラブル発生

 ようやく念願が叶い、卑弥呼の里、宮崎にまでやってきました。自動車道最後のパーキングエリアで夜を明かし、朝7時頃、いよいよ西都市に向かいます。
 もう気合は十分です。いざ卑弥呼のもとへ出発!
 そして、車が走り出したのですが、そこで異常に気づいたのです。
 『あれっ、ハンドルが重い』
 パワーステアリングに異常が発生したようです。しかし、その時にいきなり発生したのではなく、それまでに徐々に進んでいたのですが、長距離を走ったために、さらに一気に進んだのでしょう。もう、まったくパワステ効果はありません。普通のハンドル操作といった状態です。
 『どうしてこんなに重いのだろう。オイルが漏れた?』
 とりあえず、ガソリンも減ってきていたので、西都市に入り自動車道を降りて、ガソリンスタンドで見てもらいました。もう激しいオイル漏れです。入れる側から、ボトボトとしたたり落ちていました。
 大ピンチです。この最遠の地に来た朝に何ということでしょう。
 「パワステのポンプ付近から漏れているようです」
 「ええええ〜〜〜〜。どうしよう」
 もう頭を抱え込んでしまいました。
 「近くの修理工場を紹介しますのでそちらで見てもらってください」
 「分かりました」
 どうしようもありません。とりあえずは、そこで何とか修理ができることを願いながら行きました。そこでも、一緒です。傍で見ていても、オイルを入れながら下では、ボトボトと流れるように漏れているのです。
 「パワステのポンプからオイルが漏れています。ディーラーに行かれる方が良いでしょう」
 ハンドルが重いだけですむのなら、それを我慢していればいいのですが、エンジンにも送っているのでオイルが切れたまま走行すると、エンジンが動かなくなるということでした。もう、心臓から出血しているようなものです。
 そして、そこから10分ほど走り、ディーラーで見てもらいましたが、やはり誰が見ても同じです。とにかく修理ができることを願うばかりです。
 しかし、帰ってきた返事は余りにも無残でした。すぐに修理はできないので、行きつけの修理工場で修理するしかないとのことでした。そして、オイルを継ぎ足しながら帰るしかないとのことです。
 『なななんですと〜〜〜。一方ではオイルを流しながら、それを継ぎ足しもって1000キロを走れですと〜〜〜』
 もう、この際だと、意を決し、「ここで車を修理してくれ、後にまた引き取りに来る」とまで話してみましたが、どうも折り合いがつきません。仕方ありません。ここは覚悟を決めて、オイルを継ぎ足しながら帰ることにしました。
 なんということでしょう。せっかくの卑弥呼の墓探索ツアーが台無しです。あきらめるしかないのでしょうか。また、来年挑戦かと思っていましたが、その継ぎ足すオイルが届くのが午後になるそうなのです。その時はまだ10時頃でしたから、それまでの間に卑弥呼の墓を見れると、わずかながら希望が出てきました。
 そこのエンジニアは、その車で回れるように言っていましたが、とても信じられません。車をそこに置いて、タクシーを呼んでもらうことにしました。少しタクシー代が余計にかかることになりましたが、そんなことを言ってはおられません。
 さあ、ようやく卑弥呼のもとへ行ける事になりました。
 やってきたタクシーに乗りいざ出発です。とにかく卑弥呼の墓だけは見て帰らなければ、ただの宮崎までのアクシデントドライブになってしまいます。





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