今昔なぜなぜ?      Q & A

<大化改新>

「乙巳の変とは?」

 645年に、中大兄皇子と中臣鎌足らが、蘇我入鹿を暗殺し、蘇我氏を滅ぼした事件が、その年の干支にちなんで「乙巳の変」と呼ばれています。そして、翌646年に発布された改新の詔に基づく政治改革が「大化の改新」とされています。その大きな改革の年であるということで、645年には、「大化」という年号が付けられたとも言われています。
 これらの「改革」とされている内容は、日本書紀に描かれています。
 しかし、そこには数々の疑問があります。
 中大兄皇子や中臣鎌足なる人物が、どういう素性なのかは分かりません。また、蘇我氏についても同様です。
 そして、その改革でどういったことが行われたとされているのでしょう。
 まず、「公地公民」、つまり、田畑や民は、公のもであり、すべて天皇のものだとされました。そして、「班田収受の法」なるもので、公地を公民に貸与えることになりました。さらに、公民には、「租庸調」という税や労役が課せられることになりました。
 この体制と歴史認識は、その後の我が国の基本となっています。出自の良く分からない中大兄皇子と中臣鎌足らによって、どこから来たのかよく分からない蘇我氏が滅ぼされ、天皇主権の国家体制が築かれたということになっています。しかし、その天皇というシステムのルーツも謎に満ちています。いつ、どのようにこの列島に誕生したのかは明らかにされていません。はっきりしているは、天皇による、この列島の絶対的支配が確立したということだけです。
 つまり、我が国の庶民は、どこの誰とも分からない勢力によって支配下に置かれ、土地も人も彼らの所有物にされ、生産物も取り上げられ、労役を課せられることになったということになります。すなわち、出所不明の勢力の奴隷にされたというのが我が国の歴史認識の基本なのです。
 その歴史認識は、1300年以上にわたって我が国の人々を支配しています。
 そういった勢力のシンボルが天皇です。つまり、天皇のルーツを解明することで、彼らが何者で、どこから来たのかを知ることができます。しかし、我が国に残されている歴史からは、それを知ることができません。唯一、大陸に残されている歴史からのみ、その本当の姿を知ることが可能になります。
 そして、それを突き詰めていきますと、西暦663年11月18日(旧暦10月10日)に、当時のこの列島の都があった今で言う「出雲(その当時はやまとと呼ばれていました)」が、唐王朝に征服されていたということに行き着きます。もちろん、列島全域も、その支配下に置かれました。そのことは、資治通鑑にも詳しく残されています。その弔いが今でも出雲で神在祭として毎年行われています。しかし、唐王朝は、この列島を占領したことも、その後もこの列島を支配下に置いたことも、この列島の歴史から消し去りました。そして、自らに都合良く歴史を作り替えたのです。それが記紀史観です。記紀によって、我が国の本当の歴史は隠蔽されてしまいました。
 天皇とは、唐王朝第3代皇帝李治の皇后である武則天が、道教の概念から命名したものです。しかし、武則天の失脚後、再び皇帝に戻されているので、中国の皇帝で天皇を名乗ったのは、李治一人です。その武則天の時代にこの列島が支配下に置かれたので、その後、この列島は、天皇をシンボルとする武則天の勢力である武氏(士)に制圧され続けることになってしまいました。
 つまり、天皇がこの列島に誕生するのは、唐王朝の植民地支配が確立する大宝律令以後です。そして、「乙巳の変」なるものは、その唐王朝の勢力によって創作されたフィクションにすぎません。663年以前、この列島は、出雲王朝の支配下にありました。当時、大陸の王朝によりこの列島は、「倭国」といった蔑称で蔑まれ、属国扱いをされていました。それに対し、出雲王朝は対等な外交姿勢を貫いていました。それが、「日出所の天子、日没するところの天子に・・・」という国書の意味するところです。それにより隋との国交は断絶します。しかし、隋はすぐに唐に変わりますが、唐も同様にこの列島を属国扱いし「倭国」と呼びます。そこで、出雲王朝は、唐に対し、この国は「日本(ひのもと)」という」国名に代えたから今後はそう呼ぶようにという使者を送ります。
 当時、出雲の国は、「大」国と自称していました。その国名を日本と「化」える大きな改革だったので、その重要な年ということで、「大化」という年号になりました。その改革をしたのが645年というわけです。それこそが、「大化の改新」の本当の姿であり、決して、蘇我氏をめぐる血なまぐさいクーデターのような事件などどこにも存在しません。今言われている「乙巳の変」なるものは、あくまでこの列島を蔑視し貶めようとする唐王朝による歴史の改ざんを象徴するものとも言えます。
 その唐王朝は、663年秋、この列島を侵略・征服し、律令制度をはじめ歴史・文化・教育・宗教・暦などなど、この列島を唐の制度で徹底して塗り替えてしまいました。我が国の人々は、その架空の歴史認識で1300年以上も洗脳され続けています。そして、洗脳されていることすら認識できなくされてしまっています。ですから、我が国の古代史における数多くの謎は、この列島が唐王朝によって663年に占領・征服されたということを認識できるかどうかが、そのすべてのカギを握っています。それが認識できなければ、永遠に我が国の本当の歴史には到達することはできません。したがって、我が国の支配勢力にとっては、支配下にある庶民がそれに気づかないようにすることが最大の教育方針です。
 わが国の庶民は、真実を知らないことにより、1300年以上にわたって彼らの支配下に置かれています。そして、これからもそのことに気づかなければ、永遠に彼らの奴隷状態のままとなってしまいます。


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